Rikejo vol.25は「世界を舞台活動するリケジョブ」を特集していますが、そのなかでRikejo製作所のメンバー4人が、アメリカやヨーロッパで活躍してきた天文学者の嘉数悠子さんにお話を聞いています。嘉数さんは、vol.23「研究開発を通して社会に貢献するリケジョブ」特集や、「世界で羽ばたくリケジョ」としてweb (http://www.rikejo.jp/rikejob/article/3655.html)にも登場していただき、読者からも大きな反響がありました。ここでは本誌に掲載できなかった未公開インタビューを2回にわけて公開します!
大沼:嘉数さんはいろんな国で研究をしていますが、これまでどんなところに住んできたのですか?
嘉数:本当にいろんなところに住んできましたね(笑)。まず高校卒業まで出身地の沖縄にいて、東北大学に進学したときに仙台に移り住みました。東北大学に通っていたときは交換留学生としてカリフォルニア大学に行き、サンタ・クルーズにも1年間住んでいました。その後、ハワイ大学の大学院でリサーチアシスタントをし、フランス・パリ宇宙物理学研究所に勤務しました。そのあとはカリフォルニアですね。カリフォルニア工科大学という理系の大学で2年間研究をして、今度はシカゴに移りました。シカゴ大学とカブリ宇宙物理研究所で研究を続け、この9月からふたたびハワイに戻りました。国立天文台すばる望遠鏡でアウトリーチ・スペシャリストとして働くことになりました。
アウトリーチというのは、広報というか、科学や天文学と一般の人をつなぐような仕事ですね。今は自分で研究を続けながら、アメリカの学校やメディアはもちろん、日本の一般の方々や中高校生に天文学の面白さや、すばる望遠鏡について伝えていく仕事をしています。ハワイの大学でも講師として授業を持つかもしれません。
石田:大学時代の専攻科目は? 何を研究していましたか?
嘉数:物理学、天文学が専攻でした。でも私は数学や物理が得意ではなく、勉強するのが苦しかったんです。それで一浪したのですが、結局、第一希望の大学には行けず、後期試験で第二志望の東北大学に入ったのですが、天文学者になるためには物理学に行かないとなりません。ところが入学試験の点数が第一志望の物理系に足らず、一年間は第二志望の化学系に所属していました。転系試験を受け、晴れて物理学専攻になったのは大学二年次です。だから結構、紆余曲折の人生を送っています。
鈴田:日本の大学からハワイの大学院に進学するとき、家族の反応は? 反対はされませんでしたか?
嘉数:うちの両親は自由放任主義で、自分の考えを私に押しつけるようなことはしませんでした。そこは偉いところだと思います(笑)。でもハワイの大学院に行くときはさすがに母も心配して、「向こうでダメだったときにバックアップが必要だから」と言われ、東北大学の大学院に籍だけ置くことになりました。日本は4月入学で、アメリカは9月に学校が始まります。だから、とりあえず半年間だけ東北大の大学院に通って、その後は2年間休学という形をとっていました。結局はムダだったんですけど(笑)。
田坂:ハワイの大学院に進もうと思ったのはいつぐらいからですか?
嘉数:大学の交換留学生としてカリフォルニア大学サンタ・クルーズ校に行ったときですから、大学の3年生ぐらいですね。アメリカでの最先端の研究と潤沢な研究資金を目にすることができ、大学院は海外で研究をしようという気持ちが固まりました。それに、当時、東北大学での指導教官だった先生も「やっぱり海外、アメリカでの研究はいいよ」と言ってくれ、いろいろサポートしてくれました。そのおかげで、大学の3年生と4年生のときはもう天文学観測のメッカと言われるハワイ島のマウナケアに行かせてもらい、観測をさせてもらっていました。その際、何度かハワイ大学の先生にお会いしていたことも、ハワイの大学院に進むきっかけとなりました。
今振り返っても、交換留学はすごくいい経験でした。最先端の研究に触れ、英語も学ぶことができました。それに交換留学だと学費もタダになるんです。アメリカの大学は学費が結構高いんです。カリフォルニア大学は州立大学で学費は安いのですが、それでも州外から来た人は高くなってしまうんです。私立の大学はもっと高いので、学費を考えると、交換留学はオススメですよ。
text by Tsuyoshi Kawarada Photo by Yoshihiro Kamiya
文=川原田剛 写真=神谷美寛
★ 製作所メンバーが世界で活躍する先輩リケジョに突撃インタビュー Web版「海外でのリケジョライフの楽しさ、教えてください!」 vol.2は、こちら