虫刺されって、やっかいですよね。
ハチやアブ、ムカデなどに刺されたり、噛まれたりして痛い思いをした人は多いはず。しかし、蚊はどうでしょう?かゆみを感じるまで刺されたことに気づかないことが多いですよね。どうしてでしょうか?
その理由が、最近解明されました。
なんと、蚊の唾液には、痛みを感じさせない成分が含まれているそうです。
発見者の自然科学研究機構生理学研究所(NIPS)細胞生理研究部門の富永真琴教授に詳しく教えていただきました!
富永先生は、人が温度やさまざまな刺激を知覚するセンサー(TRPチャネル:トリップチャネル)を世界で初めて発見した研究チームのご出身で、日本におけるこの分野の第一人者。今回教えていただいた「蚊に刺されてもいたくない理由」のほかにも、生き物が温度をどのように感じ、どう反応するか(温度感受性)について面白い研究をたくさんされています。世界初の発見に関わった研究者としてのキャリアもとても興味深いので、研究者を目指す人にもぜひお読みいただきたいです!
蚊に刺されても痛くないのは、唾液の成分に秘密があった!
──蚊にさされても痛くないのは、蚊の唾液に含まれる成分が原因だと発見されたということで、今日はそのことを詳しく教えてください!
富永先生:蚊が血液を吸うときに皮膚の中に唾液を出していて、それが私たちの体に作用を及ぼしています。かゆみが起こるのは、蚊の唾液中の成分が肥満細胞に働き、ヒスタミンというかゆみを生じさせる物質を放出させるからです。そのほかに血液を固まりにくくする成分が含まれていることも分かっています。
──蚊が私たちの血を吸っている時、皮膚の中に唾液を注入しているんですか!それがかゆみの原因だったなんて!!(‘◇’)
富永先生:蚊に刺されても気づかないことが多いですよね。後でかゆくなって初めて、刺されていたことに気づいたりして。それは、蚊の針がとても細いからだと考えられてきました。専門的には、無痛性穿刺(むつうせいせんし)といいますが、蚊の針の太さは70マイクロメートル(1マイクロメートルは1ミリメートルの1000分の1)。人間の神経の網の目をかいくぐることができるので、痛みを感じないのです。予防接種や糖尿病患者さんが毎日使う注射針は、痛くてとても嫌なものですね。できるだけ患者さんの負担をやわらげようと、蚊の針をお手本にして改良された注射針もあります。
──痛みを感じる神経を刺激せず、わたしたちが気付かない間に沢山血を吸える針を持ってるとは!なんか蚊に負けた気がします!
富永先生:(笑) 針の細さだけでなく、唾液にも痛みを感じさせない成分を含んでいて、さらにたくさんの血を吸えるようにしていた、というのが今回われわれの研究チームが発見したことです。
──針の細さだけでなく、唾液の成分にも工夫を凝らして痛みを感じさせないようにしているなんて、本当に蚊って、血を吸うために進化した虫なんですねヽ(`Д´)ノプンプン
富永先生:(笑)
刺激に対するセンサー、TRPチャネル
富永先生:ところで、わたしたちがどうやって痛みを感じているのか知っていますか?
──神経を刺激されるからですよね?
富永先生:はい、詳しく言うと、TRP(ティーアールピー)チャネルというセンサーが感覚神経の中にあって、それが熱や化学物質の刺激を受け取ると電気信号を生じさせます。その信号が脳に伝わり、痛みや温度を感じているのです。TRPセンサーには種類がたくさんありますが、蚊の唾液の中に含まれている成分は、痛みを感じるセンサーの機能を弱めるので、それで蚊に刺されても痛みを感じにくくなっているんです。
──ティーアールピーチャネル……。話が専門的になってきました。詳しく教えてください!
富永先生:生き物の体の中のあちこちにTRPチャネルという、イオンチャネル型の受容体(編集部注:細胞の中にある鍵穴のようなもの)があり、熱や化学物質の刺激を受け取ると、細胞の外から中にイオンが入ります。そこで生じた電気信号が脊髄を通って脳に伝わると、暑いとか寒いとか痛いとかを感じるという仕組みですね。つまり、TRPチャネルは、温度や痛みを察知する感覚センサーなんです。
──熱い寒いといった温度や、痛みと言うのは、電気信号が脳に伝わっているんですね。
様々なTRPチャネルの種類
──TRPチャネルがなかったら、熱や痛みを感じないということですか?
富永先生:そうですね、TRPチャネルが無かったら、危険を察知できず、生命の危機に対処できなくなります。TRPチャネルは、生命を維持するために欠くことのできないものですね。
──TRPチャネル、すごく興味が湧いてきました!
富永先生:ヒトTRPチャネルは27あり、そのうち温度を感じる「温度感受性TRPチャネル」と呼ばれるチャネルが11あります。
ヒトはおよそ45℃以上と15℃以下で痛みを感じるようになっているのですが、約43℃以上の「熱さ」はTRPV1というチャネル分子、約26℃以下の「涼しさ」「寒さ」は、TRPM8というチャネル分子が感知しています。
そして、これらの温度感受性TRPチャネルは、植物由来の成分によっても活性化されます。たとえば唐辛子に含まれる辛み成分であるカプサイシンは、熱さを感知するTRPV1に作用します。
私たちは、辛いものを食べても温度として熱いものを食べても、どちらも英語でHOTという言い方をしますが、それは同じ分子に作用しているからなんですね。
一方で、同じ「辛い」でもワサビはTRPA1に作用します。TRPA1は、辛み成分アリルイソチオシアネートに反応する受容体なんです。他にも、ミント(メントール)の受容体もあり、こちらはTRPM8と呼ばれています。
──様々な受容体があるんですね!
富永先生:多様なTRPチャネルがあることで、いろんな刺激を感知できるということがお分かりいただけるかと思います。
とはいえ、TRPチャネルの発見は、比較的最近(1997年)で、発見したのはカリフォルニア大学のデヴィッド・ジュリアス先生でした。当時僕は日本人としてただ一人その先生に師事していて、世界で初めてチャネルが開くのを見る機会に恵まれました。そこからずっと、どうやってイオンチャネルが開口するのか、あるいはどんな温度で活性化するのかということについて研究しています。
※デヴィッド・ジュリアス先生は、TRPチャネルの発見で2021年度のノーベル賞を受賞。
蚊の唾液から鎮痛薬を開発できる可能性も
──ところで、どうして蚊の唾液が痛みをやわらげていることが分かったのですか。
ある時、痛くない注射針の開発に関わる関西大学の青柳先生から相談を受けました。先ほどもお伝えしたように、注射針は蚊の針を真似て改良されています。研究のために蚊が血液を吸う様子を映像で見ているとき、唾液を皮膚の中に流し込んでいるのに着目して、蚊に刺されても痛くないのは、もしかしたら唾液もカギを握っているのではと着想したのです。
──どうやって確かめていったのですか?
富永先生:痛みを感じる「カプサイシン受容体TRPV1」と「ワサビ受容体TRPA1」の二つのTRPチャネルに注目しました。痛みを感じないということは、蚊の唾液はこの2つの機能を弱めている可能性があるからです。パッチクランプという手法で細胞に電流を流すと、細胞膜にあるイオンチャネルが開閉し、出入りするイオンの流れを検出することができます。細胞にカプサイシン受容体やワサビの受容体の遺伝子を入れ、電流を流す実験を行いました。電流が大きいほど痛みを強く感じていることになります。蚊の唾液を希釈したものを投与すると電流が小さくなり、唾液の投与をやめると戻りました。つまり、蚊の唾液がはいるとカプサイシン受容体やワサビ受容体の機能が弱められ、痛みを感じにくくなっているということがいえます。
──唾液の中の何が原因なのでしょうか。
富永先生:蚊の唾液に含まれるタンパク質が、TRPV1とTRPA1の機能を弱めているということがわかっています。
──タンパク質の種類まで特定されているのですか?
富永先生:それが蚊の唾液の成分を調べるのはとても難しく、すべての成分はまだ調べられていません。ラットの唾液に含まれるシアロルフィンというタンパク質に鎮痛効果があるという報告があります。蚊の唾液にもシアロルフィンは含まれていると思われますので、これがカプサイシン受容体やワサビの受容体を抑制するタンパク質成分の候補分子の重要な1つだということは言えると思います。
──シアロルフィンが、蚊に刺されたときの痛みを和らげていると。
富永先生:検証のために、マウスの足の裏にアリルイソチオシアネート(ワサビの辛み成分、TRPA1に作用し痛みを感じさせる)を投与したあと、蚊の唾液やシアロルフィンを投与して観察してみました。初め痛みを感じて足をなめていたマウスが、蚊の唾液を投与した後は落ち着きました。
──唾液にシアロルフィンを持っている生き物は他にもいるんですか。
富永先生:他の動物の唾液にも同じような成分が含まれているかもしれません。よく動物が傷口を舐めて直したりしますよね。唾液には殺菌作用があることがわかっていますが、それ以外の理由として、唾液に痛みを感じるTRPチャネルを抑制する成分が含まれているからなのではとの仮説を持っています。
──シアロルフィン、いろんなことに活用できそうですね!
富永先生:そうなんです。シアロルフィンと似た構造のもっと強い抑制効果があるたんぱく質を探して鎮痛薬を開発することもできるかもしれません。蚊の唾液の成分はまだ全てが明らかになっていないので、さらに分析を進めたら、シアロルフィン以外にも鎮痛効果のある成分が見つかるかもしれません。
医師から基礎生理学者へ転身し、世界的な大発見に立ち会う
──先生の研究者としてのキャリアについてもお伺いします。先生はもともと医師だったとか。
富永先生:元は心臓の医者です。研究の世界にも興味があったので、人生の中の4年間は研究に打ち込んでみようと思って大学院に入りました。それがイオンチャネルとの出会いですね。院に入って初めは心臓の細胞と消化管の細胞の研究をしていましたが、今ほど分子生物学が進んでいない時代で、深く学ぶためにカリフォルニア大学のサンフランシスコ校へと留学したんです。師匠となるデヴィッド・ジュリアス先生のラボに入り、1997年に私たちの研究グループが温度感知に関わる主要分子である、TRPV1チャネルを見つけました。
──それが研究者としての大きなきっかけとなったのですね。
富永先生:イオンチャネルが温度によって開くという概念は、それまでありませんでした。カプサイシン(唐辛子の辛み成分)受容体の遺伝子についてみんなでディスカッションをしていた時、「唐辛子を食べると口の中が熱くなるから、温度刺激でもイオンチャネルが開くんじゃないか?」というアイデアが出てきました。実際に実験してみると、熱刺激だけでもイオンチャンネルが開くのが観察できたんです。人生の中でこれほど感動したことはありません。おそらく世界中で初めて、温度によってイオンチャネルが開く瞬間を見たのは私だと思います。そしてずっとこの分野の研究を続けています。
究極の目標は人間の冬眠!?
──先生は、温度が関わる生命現象をいろいろと研究されていらっしゃいますね。(編集部注:富永先生は、温度を基軸として生命現象を理解しようとする学問、温度生物学のリーダーとして分野を引っ張っておられます。)
富永先生:温度の研究って、やってみると楽しいことがいっぱいあるんですよ。今一番興味を持っているのは、体温の制御です。私たちの身体は全て温度を感じて動いています。インフルエンザになれば高熱が出ますが、これは免疫系の活動が活発になっているという証拠です。どういった免疫系の細胞が温度を感じているのか、さまざまな温度に関わる生命現象を解き明かしたいですね。今一番興味を持っているのは冬眠です。何とかして体温を人為的に制御し、人間を冬眠させたいと思っているんです。
──人間を冬眠させるなんて、映画の中だけだと思っていました!
富永先生:私たちは、体の中の全ての細胞が温度を感じながら生きているという概念で研究を進めています。脳の中にはミクログリアという細胞があるんですが、37℃から40℃では活発に動きますが、33℃になると途端に動かなくなります。体の中の細胞が温度を感じながら動いているというのが、このことからわかります。脳細胞自体がダイレクトに温度を感じていて、温度変化を感じながら一番いい状態に身体を保っているんです。つまり、脳で温度を感じているのだったら、その部分を制御することで、体温を調節できないか、というのが今考えているアイデアです。
──脳を制御して体温調節をする…?
富永先生:例えば熱中症になると太い血管を冷やしたり、氷風呂に浸かったり、あるいは冷たい血液を透析して体温を下げるといった処置がありますね。しかし脳を刺激することによって、よりスマートなやり方で体温を下げることができたらどうでしょう?冬眠のメカニズムが分かれば、それが可能になるんじゃないかと思っています。ほかにも、脳梗塞は発症から数十分以内の処置が鍵といわれますが、体温を下げて冬眠に近い状態にすることで、そのゴールデンタイムを伸ばせるかもしれません。あるいは、COVID-19の高熱も体温制御で下げることができるんじゃないか、とか。大風呂敷かもしれませんけど、そういったことを可能にできたらすごく面白いと思って、冬眠の研究をやっているんです。
──冬眠と言う極端な体温制御の研究から、いろいろな応用が期待できるのですね。
富永先生:動物の中には温度によって性別が決まるものもいますし、熱湯をかけるとどんな昆虫も死んでしまいます。地球上の生物には温度に関連したさまざまな生命現象があります。そして多くの生命現象には必ずメカニズムがあります。何千何万何百ある生命現象のメカニズムを、1つでも明らかにしたい、そんな意気込みでこの先も研究を続けていきたいと考えています。
──蚊の話からTRPチャネル、そして温度から生命現象を理解しようとする温度生物学という研究分野を知ることができ、とても勉強になりました。貴重なお話をありがとうございました!
富永 真琴 とみながまこと
自然科学研究機構生命創生探求センター 教授
愛媛大学医学部を卒業後、循環器内科医として臨床にたずさわったあと、京都大学大学院医学博士課程にて博士号を取得。1996年にカリフォルニア大学サンフランシスコ校に留学し、感覚神経の領域の研究に従事。侵害刺激受容に関するイオンチャネルの遺伝子単離や機能解析に携わる。2000年より三重大学教授、2004年からは自然科学研究機構の教授として研究を続ける。数年に一度の研究所公開では、一般の人にもTRPチャネルをわかりやすく伝えるため、「トウガラシ博士」「ワサビ博士」としても活躍している。
(本記事は「リケラボ」掲載分を編集し転載したものです。オリジナル記事はこちら)
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