研究と家庭の両立は、女性研究者にとって悩ましいテーマです。特に子育ても一緒にとなると、その大変さを思って二の足を踏む人も多いのではないでしょうか。でも本来なら、育児で女性だけが悩むのがおかしな話です。そこで平成18年から文部科学省では、女性研究者支援事業を推進してきました。その成果が各地で出始めています。

「着任前から大学の単身赴任教員のネットワークに参加させてもらい、さまざまな情報を得られたのが心強い支援になりました」と語る名古屋大学大学院工学研究科の鳴瀧彩絵教授も、その一人。単身赴任で2人の子育てをしながら、画期的な人工材料を開発しました。「せっかくの人生なので、自分のやりたいことを貫いてきました」と語る鳴瀧教授に、その革新的な研究内容と家庭生活との両立についてお話を伺いました。

世界初、再生医療用途にも期待される人工エラスチンの開発に成功

―先生の現在のご専門は工学研究科の高分子材料化学で、タンパク質の研究をされているのですね。

鳴瀧:エラスチンと呼ばれる、細胞外マトリックスタンパク質をテーマに研究を進めています。エラスチンとは、わかりやすくいえば生体のゴムのようなもので、組織に弾性や伸縮性を与えるタンパク質です。皮膚などの組織の柔らかさは、このエラスチンとコラーゲンの割合で決まるのです。具体的にはエラスチンが多いほど柔軟性に優れていて、靭帯なら8割弱を占めています。逆に皮膚は7割ほどがコラーゲンで、エラスチンの割合は数%にとどまります。コラーゲンに比べると知名度は低いものの、近年は再生医療や美容などの分野で関心が高まってきています。

―コラーゲンは化粧品や食品などさまざまな形で商品化されていますが、エラスチンも市販されているのでしょうか。

鳴瀧:エラスチンを使いたいというニーズは間違いなくあります。ところがとても使いづらいのです。なぜならエラスチンは高度に化学架橋されているため、溶媒に溶けません。だから、何かに混ぜて使ったり、自在に成形したりすることができません。そこで天然エラスチンを熱シュウ酸処理したα-エラスチンや、同じく熱アルコール中でアルカリ処理したk-エラスチンなどの水溶性エラスチンが市販されています。ただ、いずれもいわば無理やり化学架橋を取り除いているため、本来のエラスチンとは性質が異なり材料として使いづらいのです。

―以前からエラスチンに似せたポリペプチドもあったようですが。

鳴瀧:生体エラスチンは、プロリンというアミノ酸に富んでおり、その配列に似せて作ったエラスチン類似ポリペプチドの研究は世界的にさかんです。このポリペプチドは、冷水に溶け、温水には溶けなくなるという興味深い温度応答性があるからです。しかし、従来のものは水中で丸い形に凝集して容易に沈殿してしまいます。疎水性相互作用が働くため、凝集してくる駆動力に方向性が生じないのです。だから油が水の中で丸まってしまうのと同様で、球体になってしまう。生体中のエラスチンのようなファイバーやシート状の形態にはならないのです。

―それで、新たな人工エラスチンの開発に取り組んだのですか。

鳴瀧:生体中のエラスチンのように、ファイバー状になってくれる物質をつくりたいと考えました。発想自体はシンプルで、天然エラスチンのアミノ酸配列を、より精密に模擬しようと考えました。天然のものは非常に複雑なアミノ酸配列をしているのですが、少し引いて俯瞰的に見ると、アミノ酸のプロリンが多く含まれているドメインと、同じくグリシンが多く含まれているドメインに分けられます。当時、グリシンに富むドメインに注目している研究者はほとんどいなかったのですが、私はこれらのドメイン構造の組み合わせに何か意味があると考え、似たようなポリペプチドを遺伝子工学の手法でつくってみました。その結果、天然ものと同様の性質を持ち、ナノファイバーも形成可能な人工エラスチン『ブロックポリペプチドGPG 』ができたのです。これなら再生医療で必要となる新たな細胞培養の足場材として使えます。

画像提供:鳴瀧先生

液体にもゲルにもなる魔法のような素材

―使い勝手のよい人工エラスチンは、待ち望まれていた物質ですね。

鳴瀧:ナノファイバーを形成可能な人工エラスチンは世界初です。これを使うとハイドロゲル、つまりゼリー状の物質をつくれるので、その中で細胞を培養できます。そのためエラスチンを含む組織、たとえば肺や皮膚、血管などの再生医療に展開できる可能性が出てきました。また、このハイドロゲルには自己修復特性があります。試験管などに入れていったん振ると液状化するのですが、そのあと放置しておくと再び勝手にゲル状になるのです。

―その不思議な性質は、さまざまな活用が考えられそうです。

鳴瀧:それこそが、この人工エラスチンのメリットです。たとえばゲル状の人工エラスチンを振って液体にしたところに細胞を混ぜます。混ぜた後に静置しておくと、またゲル状になるので細胞を三次元環境で立体的に培養できる。立体状に育った細胞を取り出すときには、容器ごと振るだけでゲルが液体に戻るので、中の細胞だけを簡単に回収できます。コラーゲンを使っても培養はできますが、コラーゲンはいくら振っても液体にはならないため、酵素を入れて分子を切らなければなりません。酵素処理をすれば、培養した細胞にもダメージが及びます。細胞培養に関する理想的なシステムを一つ構築できたわけで、現在特許出願中です。

画像提供:鳴瀧先生

途中で専門分野を変えた結果がオリジナルの発見に

―画期的な発想は、どこから生まれたのでしょう。

鳴瀧:もともと高分子化学の分野で研究をしていて、高分子が示す自己組織化に興味を持っていました。外部からエネルギーを加えなくても、ひとりでに秩序構造を形成する現象のことです。二種類以上の異なる高分子セグメントが連結したブロック共重合体は、自己組織化する代表的な物質としてよく知られていました。このようなバックグラウンドがあったので、天然エラスチンのアミノ酸配列を初めて見たときにも、異なるドメインから構成されている点に注目しました。このブロック状の構造は、もしかするとエラスチンが自己組織化するヒントかもしれないと。はじめからタンパク質だけを研究していたら、この着想には至らなかったかもしれません。

―大学院時代から遺伝子工学系の研究もしていたのですか。

鳴瀧:遺伝子工学はカリフォルニア工科大学でのポスドク研究員時代に身につけました。その理由は、学生時代の指導教官の教えです。教授は「絶対に人まねをするな」と口ぐせのように話されていたので、先生の有機合成とは異なる領域をめざしたのです。そこで選んだのが遺伝子工学であり、それ以前に培っていた化学のベースの上に新たな領域を加えた結果が、今回の発見につながったと考えています。複数の分野を学ぶと発想の引き出しが増える良さがあると思います。

研究に弾みがつき、プライベートにも一大変化が

―忙しい中でお二人の子育てもされていますが、今のような状況は以前から望んでいらしたのですか。

鳴瀧:今に至るまでには、かなりの心境の変化を経ています。院生時代までは、研究に没頭できることを幸せに感じていたので、研究さえできるのならずっとポスドクを続けて、いろいろなラボを渡り歩く人生もいいかなと思っていたのです。ところがあるとき、私の博士論文の審査員をして下さった先生のひとりから、「助教のポジションに応募しませんか」とお声がけをいただきました。研究はともかく、自分が学生を指導するという責任ある立場になる覚悟が持てず、1カ月以上迷っていました。先生に「自信がないんです」と正直にいうと、「環境が人をつくるのだから、思いきって飛び込んでみてはどうです」と背中を押してくださったのです。

―大学の教員になって、心境はどのように変わりましたか。

鳴瀧:学生を持つようになり、確かに学生指導に対する責任が生じてきました。しかし同時に、学生が自分のアイディアに乗ってくれて、チームで研究を発展させられる面白さにも気づきました。それで心機一転、より大きな夢を持って、研究・教育に本気で取り組むようになりました。助教になって数年後に結婚、その際に上司であった先生から「ぜひ子どもを持って、研究と家庭を両立させてください。私も応援しますから」と言ってもらいました。それで何の迷いもなく出産できたのです。その後、2人目の妊娠中に今度は、あるプロジェクトでご一緒した先生から「名古屋大学の准教授に応募してみませんか」と誘っていただいたのです。

―妊娠中の転職は悩まれたのでは。

鳴瀧:さすがに考えました。夫も東京でやりがいのある仕事を任されていたので、名古屋に行くなら単身赴任するしかありません。となると子どもの面倒は自分で見たいと考えていたので、子連れで行くことになります。それでも、研究者としてステップアップできる大きなチャンスだと思ったので決断しました。より大きな仕事がしたいという気持ちが強かったのです。

思いきって子連れで単身赴任へ

―本当に、相当な思いきりだと思います。

鳴瀧:最初の子どもで育児の大変さもわかっていたので、出産後すぐの赴任ではなく、2人目が生後9カ月になるまで着任時期を遅らせてもらいました。単身赴任で2人の子連れで、しかも准教授でと、未体験で簡単には想像できない境遇だったのが、今にして思えばよかったのかもしれません。余計な想像をしなくてすみましたから。

―東京から名古屋へ単身、環境は激変したかと思いますが。

鳴瀧:新しい環境に飛び込むことは、案外いいものだと助教になったころに実感していたので、環境を変えることにあまり躊躇は無かったです。さらに名古屋大学には『単身子育てネットワーク』という組織があり、単身で子育てしながら研究されている先輩が、何人もおられたのです。着任前から男女共同参画センター経由で、私について知ってくださっていて、電話をくださり、住む場所やサービス、予想される苦労などいろいろ情報提供いただきました。

―それは大きな安心につながりますね。

鳴瀧:最初から、自分を受け入れ助けてもらえるグループがあるとわかっているのは、何より心強いです。先輩もやれているから自分にもできるかも、と思えました。仲間がいるから助け合える、そんな頼もしさを実感しています。もちろん今に至るまでは苦労もいっぱいしたのですが、研究に打ち込んでいると苦労を上回る喜びがたくさんあります。驚きの実験結果が出たり、論文や研究費が採択されたときは、研究を続けていてよかったと思いますね。次から次へとやりたい研究も出てきて、毎日ワクワクしながら過ごしています。

研ぎ澄まされた時間感覚が研究も後押し

―とはいえ、子育てしながらの研究は大変ではないでしょうか。

鳴瀧:大変じゃないとは言えませんが、子どもができて良かったのは、限られた時間で成果を出すために集中力がついた点ですね。さらに自分の研究の広報の仕方についても見直す機会になりました。所詮は一人でやれる範囲は限られているのだから、共同研究者や学生と一緒にチームの士気を上げて結果を出そうという思考に変わっていきました。そのためには、チームメイトに「この研究面白いな」と思ってもらわなければなりません。研究の意義や他分野への波及効果、数十年後のビジョンなど、研究について深く考え、プロデュースする意識を持てるようになったのは大きな進歩だったと思います。

―限られた時間でパフォーマンスをあげるためには。

鳴瀧:どの分野で研究するのかを、まず考え抜くようになりました。競争の激しい分野で勝負するのではなく、人が真似できないような研究でオリジナリティを追求する。エラスチンを突き詰めたのも、その延長線上です。もう一つ、研究時には偶然の発見を見逃さないよう注意しています。研究を続けていると何年かに1回は、必ず偶然の発見に出会うものです。それを見過ごさず、きっちりと発展させていく。このスタンスを大切にしています。

―あとに続く女性の研究者にメッセージをお願いします。

鳴瀧もっとも伝えたいのは「変化を楽しんでほしい」のひと言ですね。慣れ親しんだ立場・環境から離れるのが怖いという気持ちはよく理解できます。私も昔は、自分に自信を持てない学生であり研究員でした。けれども、縁をきっかけに思い切って新しい環境に飛び込んでみたところ、思いがけない気づきがあったり、自分ひとりでは思いつかなかった研究のアイディアに出会えたりしました。仕事に対して真摯に取り組んでいれば、誰かが見ていて、声がかかるということがあると思います。そんな時はぜひ飛び込んでみてと、背中を押したいです。これまで世の中の無意識のバイアスで、チャレンジを我慢していた女性は多いと思います。それは優秀な人材を社会で活用できていないことであり、とても勿体ないことです。大学としてもそこに問題意識を持ち、女性のステップアップをエンカレッジするような施策を打ち出しています。ぜひこれもきっかけと捉えていただき、一歩を踏み出してほしいなと思います。

今、単身赴任ならではの楽しみが、2人の子供たちに挟まれて眠りにつくことです。子どもたちも小学生になり「お母さんって、なんかかっこいいことやってるんだね」と話してくれるようになりました。諦めずに続けてきてよかったと感じますし、さらに力が湧いてきます。

<編集部より>

人工エラスチンという画期的な材料を開発された鳴瀧先生。乳幼児を含む2人のお子様の育児をしながら単身赴任で続けた研究生活には、言葉では言い表せられないご苦労があったのではと想像します。が、それをものともせず、笑顔で道を切り拓いてこられたこと、心から尊敬します。貴重なお話を誠にありがとうございました。

鳴瀧彩絵(なるたき あやえ)

1999年東京大学工学部卒業、2004年同大学院工学系研究科化学生命工学専攻博士課程修了、博士号(工学)取得。2004年より東京医科歯科大学生体材料工学研究所にて日本学術振興会特別研究員(PD)、2007年よりカリフォルニア工科大学にて日本学術振興会海外特別研究員、2008年より東京大学大学院工学系研究科助教、2014年より名古屋大学大学院工学研究科准教授、2020年より現職。

(本記事は「リケラボ」掲載分を編集し転載したものです。オリジナル記事はこちら

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