空中に浮かんだ映像を触ると、スマホが操作できたり、トイレのウォシュレット®を操作することができたりするのだとか。
そんな夢のような製品の開発者である、株式会社パリティ・イノベーションズ前川代表に話を聞きました。
パリティイノベーションズは、国立研究機関NICT(情報通信研究機構)発のベンチャー企業です。ご自身の研究成果をもとに起業した研究者としてのキャリアストーリーも勉強になりました。
映像を空中に映し出す世界初のプロダクト
——まずは、「パリティミラー®」で実現できることを教えてください。
ひとことでいうと、実空間に空中映像を映し出すことができます。特徴としては、メガネ型ウェアラブル端末など特殊な道具を装着する必要がないことですね。現在、ARやMRが流行していますが、これらはスマートフォンやヘッドマウントディスプレイのようなデバイスが不可欠です。一方「パリティミラー®」は、観測者の方はデバイス無しで直接空中映像を視認できるんです。
——どんなテクノロジーを使っているのですか?
「パリティミラー®」は、レンズや凹面鏡のような結像光学素子の一種で、樹脂製の1枚の平らな板です。樹脂製の板の表面には、1ミリ以下の非常に微細なブロックの側壁に形成された鏡が何十万個と並んでいます。「パリティミラー®」の下にモノを置くことで、そのブロックを通過する際に光線を2度反射させて、面対称位置の空中に実像を結像させるという仕組みです。これは鏡映像なので、像を空中に浮かび上がらせる鏡とも言えます。この構造は最新のナノテクノロジーを駆使することで実現することができました。
——映像を鏡で2度反射させると、なぜ空中に映像が見えるのですか?
実像という光の性質を活用して、空中に映像を見せています。光っている点「光点」があるとすると、「光点」からは四方八方に光線が広がってます。人間の目はこの広がる光線を捉えて光線の出どころを逆に辿り光点がある=モノがあると認識しています。この光点が集まっている状態を空中に再現する、すなわち実像を結像するというのが「パリティミラー®」です。
先程、樹脂製の板の上に微細な鏡が無数に並んでいるとお伝えしましたが、この垂直2面が直交ミラー(2面コーナーリフレクター)を構成していて、直交する2面の鏡にあたった光線を2回反射させます。こうすると、パリティミラー面を通過した光線は全て面対称に折れ曲がっていくために、ちょうど面対称位置に光線が集まり、実像を結像することになります。
一般的な鏡は、表面で光線が反射するので、鏡の中にできる像には実際の光線は通過してません。これを虚像と言います。「パリティミラー®」の場合には、光線が面を通過して結像するために、像ができる場所には実際に光線が通過しており、スクリーンを置くと像が映ります。これを実像と言います。そのため、パリティミラー背面に置いたスマホのようなものから拡散された光線は、反対側に再び集光されて結像し、あたかも反対側にスマホが置いてあるかのような光線が再現されることで、映像を空中に出現させています。
——どのようなものでも空中に映し出せるんですか?
そうですね、基本的にはただの鏡ですから、液晶ディスプレイ、スマートフォン、写真、実物など、何でも背面に置いたものが空中映像化できます。さらにセンサーと組み合わせることで、空中映像とのインタラクションも可能となります。
——触(さわ)れるということですか?
はい、ただあくまで映像なので触感はありませんが。赤外線やカメラ感知などのセンサーを使えば、たとえば空中にある指をセンシングしてあげれば、空中に映し出されたスイッチを押すことができます。少し工夫すれば地球儀をくるくる回すように、映し出された映像を立体的に回転させることも可能ですよ。
——空中映像を操作できるなんてまさにSF映画ですね。
「パリティミラー®」の最大の特徴ですね。ARやMRなどはスマホやHMDというデバイスの画面の上に表示される現実世界仮想物体を重ねて表示することで、現実が拡張されているかのように見えていますが、実際の現実はなにも変わっていません。しかし、我々が開発した空中映像を映し出す手法は、視覚的には本当に存在して触ることもできます。現実をコンピュータ等によって拡張する技術を「拡張現実感」と呼びますが、「パリティミラー®」は現実そのものを拡張できる「現実拡張」技術となります。
5cmという、高い壁
——どのようなものでも空中に映し出せるんですか?
そうですね、基本的にはただの鏡ですから、液晶ディスプレイ、スマートフォン、写真、実物など、何でも可能です。ローソクを立てれば映像の火を灯せますし、飛行機の模型を置けば、説明文を空中に映し出せます。また、新型コロナウイルスの影響もあって、非接触のデバイスとして多くの問い合わせをいただいています。不特定多数の人が触るトイレの温水洗浄のスイッチなどもそのひとつですね。他にも、工場の現場など手が汚れていてボタンに触れられないといったシーンでの活用方法も考えられます。
——遊園地などのアミューズメント施設や街中の広告で使われていたらおもしろそうですね!
相性はいいのですが、現状の製品サイズは30cm角が最大です。そのためアトラクションで使用する場合は大型化が必要となりますが、その大型化と量産化が非常に難しいのです。
——どうして難しいのですか?
正確に映像を映し出すために、「パリティミラー®」はレンズ並の精度が求められます。レンズって表面がなだらかですよね。「パリティミラー®」の表面はブロック状の鏡が並んでいるのでギザギザです。大型化するほど、なだらかにするのが困難なのです。しかも、大きくなるほど樹脂は成形時に縮みます。かといって、金属にすると販売価格が高額になるので、樹脂で実現するしかありません。大型化と量産化は、創業当初から直面している課題となっています。
——30cm角に至るまでかなりの時間を要されたのですか?
開発当初、2006年に5cm角の製品ができたのですが当時は樹脂製ではなく金属製で、1枚数百万円という価格でした。5cm角というサイズでは用途が限定されるのに加え、超高価格ではビジネスになりません。大型化・低コスト化を実現するためにパートナー企業を探し、成形技術を確立する手法を探ってきました。試行錯誤を何年も繰り返し、10cm角の量産化の目処がたったのは2018年。5cmのサイズアップに10年以上かかりました。そうしてやっと30cm角にたどり着き、サンプル品も35,000円まで抑えることに成功しています。
——5cmアップに10年! その間、企業存続のための資金はどうされていたのですか?
出資を募ったり、融資も受けてますし、行政からの助成金やサンプル品の売上で開発を継続してきました。
——思うように物事が進まないなか、何年も諦めなかった理由はなんでしょう?
展示会などに出展すると、「パリティミラー®」を見た方はみなさん驚いてくれるんですね。過去には握手を求められたこともありました。自分たちのやろうとしていることは、世間も非常に興味をもってくれると実感し続けられたことが一番大きいでしょうね。ただ、空中映像自体は面白がってくれるのですが、いざ何に使うかとなると、なかなか思いつかないんです。感染対策という意味でやっと必要性がでてきたので認められてきましたが、長期的に見れば感染症対策も一時的なものなので、マーケットそのものをつくっていかなければならないと感じています。
研究者と経営者の二足のわらじ
——さきほどNICT(情報通信研究機構)で働いていたとお伺いしましたが、これまでのキャリアについて教えてください。
大学を卒業後に一度就職をしました。それから大学院に入学して、今でいうディープラーニング分野のニューラルネットワークの研究で博士号を取得しました。その後NICT(情報通信研究機構)で研究員として過ごし、2006年に「パリティミラー®」の特許を取得、2010年に起業してパリティ・イノベーションズを設立しました。
——1度就職されてから、大学院に入学されたのはなぜですか?
大手メーカーに入社しましたが、仕事は細分化されて担当者は自分のみ、実際の開発は外部に依頼してその管理が中心でしたね。自分で手を動かしてものづくりをする機会はあまりなく、就職前のイメージとギャップがありました。それで、やはり自分で研究したり、ものづくりをしたいということで大学に戻ることに決めました。
——大学院を卒業後すぐ、NICTで空中映像の研究に取り掛かったのですか?
いえ、入所当初から研究していたではありません。ニュートラルネットワークで博士号を取得したので、引き続きNICTで研究を続けていました。ただAIも含めて、ニュートラルネットワークって流行り廃りがあるんです。自分が携わっていたときは丁度廃れたときで、研究室自体もなくなってしまいました。そのとき「新しい研究テーマをどうしようか」と考えていたところ、当時3Dテレビが流行していたんです。NICTでも立体ディスプレイの研究プロジェクトが立ち上がり、映像を空中に浮かすことはできないかという着想に至り研究をスタートしました。
——ニュートラルネットワークと空中映像は異なる分野だと思うのですが、知識面など問題はなかったのでしょうか?
確かに異なりますが、もともと大学では原子核物理を専攻していたので問題なかったですね。NICTで空中映像技術の研究を続けて、2006年に特許を出願。予算もついて研究を続けられることになったのですが、NICTも含めて研究機関に長くいると、知財関係や企画、省庁との折衝や予算取りなど運営の仕事が多くなります。研究を続けるためには、大学の教授になるか、就職するか、起業するかとなったときに、さきほども少し触れましたが展示会では多くの人から驚かれ、「これは新しい価値を世の中に提供できる」と考え、起業を決意しました。そうして2010年にNICT発のベンチャー企業としてパリティ・イノベーションズを当時の研究者仲間たちと創業、今に至ります。
起業は甘くない。しかし、後悔もない
——研究者時代と現在では、考えることは変わりましたか?
大きく変わりましたね。極端にいうと、研究って原理を検証するだけでいいんです。原理を検証するところまでが研究で、実用化は一切考えません。でも企業は違います。今も研究を続けていますが、それ以外に低コストな製品をどうやって量産化するのか、品質や検査体制はどうするのかなど、研究者が考えたくないことも、考えないといけないですから (笑)。自分が経営者としての職務を全うできているかはわかりませんが、意識自体を大きく変える必要がありました。研究者であり続けるためには、やりたいことだけではなく、すべきことを、覚悟をもってやるという自覚が芽生えたということですね。
——進路を迷っている院生や研究者も多いと思います。そんな方にアドバイスをいただけますか。
論文はたくさんありますが、世に出ないものがほとんどです。そんななかでも、世間に広く使われそうな研究成果を出せたとき、起業は研究者の出口としてひとつの選択肢になりえるのではないでしょうか。ただ、甘くはありません。研究もそうですが、計画通りに物事は進んでくれません。私自身、起業後すぐに販売できると思っていましたが見通しがつくまで10年かかりました。覚悟は本当に必要です。中途半端な気持ちでやってしまうと、融資や社員の生活など責任を背負いきれなくなってしまうので。大変なことも多いですが、ただ、今のキャリアを選んだことに後悔はありません。自分が出した開発成果を、自分で極めていくというチャレンジはやりがいがありますから。
前川聡(まえかわ さとし)
1996年京都大学大学院工学研究科博士後期課程修了、1996年JST科学技術特別研究員、1998年郵政省通信総合研究所入所(現独立行政法人情報通信研究機構)、2010年株式会社パリティ・イノベーションズ設立。
(本記事は「リケラボ」掲載分を編集し転載したものです。オリジナル記事はこちら)
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