そんな着眼点から、画期的な新素材が生まれました。細いナイロンの糸が、何倍もの重さの物体にくっつき持ち上げます。なのに簡単にはがすことができて、しかも跡が残らない!
色々なことに活用できそうなこの素材、作ったのは国立研究開発法人物質・材料研究機構(NIMS)の細田奈麻絵博士です。
NIMSは、物質や材料の研究を総合的・専門的に行う公的研究機関で、細田先生はこれまでにも数々のユニークな研究成果を上げてこられました。先端のナノテクノロジーと自然界の生物に学ぶバイオミメティクス(生物模倣)を融合させた技術開発が先生の研究の特徴で、自然環境にやさしい視点に定評があります。
今回は、新素材の驚きの性能とともに、ハエの足裏の構造をどうやって再現したのか、興味深い研究プロセスについてもじっくりとお話いただきました。材料研究の面白さを堪能いただけたら幸いです!
葉が自然に落ちるのはどうして? 身近で単純な疑問が常に研究の出発点
——細田先生は昆虫など生き物をテーマにした研究を多数されていますが、どうしてこの方向に進んでこられたのでしょうか。
私自身は生物ではなく、工学から始めて化学、最終的に材料の研究で学位を取りました。学位を取って最初に東京大学で仕事を始めたときに、常温接合という接合のグループの先生のところで、接合・分離の研究を始めました。接合とは簡単にいうと、どうやったらしっかりくっついて取れないかを主眼に置いた研究分野です。ただ、パーツが頑丈にくっついて取れない製品は、リサイクルに困りますよね。どうしたらちょうどよくつけたり・はずしたりできるんだろうと考えるようになりました。
また、強くつけるための仕組みや材料は既に世の中にたくさんあります、自分としては次第に「外す」ほうに興味が湧いてきました。例えば「どうして植物の葉は落ちるんだろう?」とか、身近なものの中に疑問が生まれました。調べてみると、植物は芽が出るときから既に葉をはがすための設計がされていて、タイミングが良い時にはがれるようになっているんです。これは、私の中にはなかった考え方でした。
——自然物からヒントを得られたんですね。
そうなんです。そこで、最初から接合部に剥がす機構をつけ、葉が落ちるように簡単に接合部分が取れるような開発を行っていきました。でも当時は「剥がす」ことに対する研究の需要はそれほどありませんでしたね。その後、2003年にNIMSに移る際、新しいことを研究したくて昆虫を選んだんです。
——なぜ昆虫を?
昆虫だからというよりは、題材としてすぐ身近だったからですね。そういうものに興味をひかれる傾向があります。多くの虫がガラスの上などでも普通に歩きますが、それって接着と剥離の繰り返しで面白いなと思って。どうやってくっついたりはがれたりしているのか、この優れた足のどの辺に限界があるのか知りたくなったんです。まずは専門外だった生物について知識を深め、昆虫の微細な足裏構造を人工的に作るための研究開発を行っていきました。その過程で落ち葉のように自発的に剥離する接合界面の開発や、昆虫やヤモリの接着・剥離の足裏の仕組みの調査と技術への応用、ハムシやテントウムシの泡を利用した水中歩行をもとにした、水中接着機構の開発といったものを行ってきました。
想像外だった、ハエの足裏の作られ方
——どれもすごく面白そうです。生物の構造とその機能を人工的に再現し、工学や材料科学などさまざまな分野へ応用しようというバイオミメティクスは、最近とてもよく聞くように思います。
バイオミメティクス自体は大変古い研究分野で、鳥の翼を模倣した飛行機もバイオミメティクスの一つです。最近活発になっているのは、材料系のバイオミメティクスで、急速に進んできたかなと思います。
——今回発表された、ハエの足裏を参考にした、接着と分離を繰り返せる構造がとても注目されていますね。どうやって生まれたのか教えてください。
昆虫にはすごく微細な構造が足の裏にあります。でもそれを人工的に作ろうとすると、最先端の微細加工技術が必要で、すごくお金がかかるんです。一方、生物って普通の環境の中で身体の形を作っているわけですよね。生物自身はどうやって作っているんだろうというところから、昆虫を専門とされている北海道教育大学の木村賢一先生と一緒に2012年頃から研究に取り組むようになりました。
——今回、ショウジョウバエのサナギの変態過程をモノづくりの参考にしたことが画期的といわれていますね。
いろんな昆虫の中でも、キイロショウジョウバエは足裏の構造がとてもシンプルです。そして成虫の形を作るのはサナギの時期なので、サナギを見てモノづくりをすればいいんじゃないかと。木村先生は生物の成長過程を研究されている方で、研究自体は彼から始まったものです。実際、サナギの中で足裏の形成プロセスを観察すると、想像と全く違う足の作られ方をしていました。ハエの足裏はヘラ状の形をしていて、繊維が先端で固定されています。足って普通は先端に向かって生えていくイメージがありますよね。でもハエの足の作られ方は反対で、細胞の先端が固定され、内側に引き伸ばされるように後退していきながら、ヘラの形になるんです。具体的にいうと、剛毛形成細胞が伸びて細胞骨格性アクチン繊維によってヘラ状の骨組みを形成して、クチクラが分泌されて固化することで形成が完了することがわかりました。
生物の形を見るのではなく、作られ方に着目するという新しいアプローチ
——先ではなく、内側に伸びていくんですね。ここが木村先生のご担当分野で、これを元に細田先生がモノづくりに挑まれたと。
サナギの中の成長過程を元に、接着構造の作製手法について考えたところ、2ステップでいけると思いました。骨組みを人工的なファイバーで作製し、片方を固定して、表面張力で下がっていくとヘラ上の形を形成するシンプルな形です。それを樹脂のアルギン酸カルシウムで固化します。その2ステップを実際にやってみたところ、本当にそれだけでできてしまいました。
——そう聞くと本当に簡単そうに聞こえますが、これまでの微細構造との作り方の差はどこにありますか?
今回生み出した新しい技術は、加工するのではなくて、強度を支える繊維がまずあり、表面張力を使うことで自動的に形ができあがることが特徴です。これまでバイオミメティクスでこうした3次元の微小な形を作るには、微小電気機械システム(MEMS)を使うなど生産コストがかかり、作る際にも引き抜くのが難しいとか、型の中に入れるのが大変とか、加工の難易度が課題にありました。でも今回提案したやり方だと、非常に簡単で、費用も大掛かりな装置もいらず、コストが段違いです。生物というのはこれまで、ほとんど形だけが模倣されてきました。でも生物自体の作られ方を模倣すると、エネルギーを使わないで非常に簡単にできるということを、形にできたことが大きいと思います。
——こうして作られた接着構造にはどんな特徴がありますか。
被着表面に対して、平行に引っ張ると強く接着し、垂直に引っ張ると簡単にはがれます。ナイロン繊維1本だけで、52.8g、直径20.3cmのシリコンウエハーを持ち上げることもできました。
——ナイロン繊維を増やせばその分、重いものも持ち上がるということですよね。
756本(9cm2)で60kgの人間がぶら下がれるほどの強度です。
——にもかかわらず楽に外せるのがすごいです。作るのは簡単というとすぐにできたように感じますが、そんなに単純な話なんでしょうか?
実は2013年頃から挑んでいましたが、当時は別の昆虫を使っていました。でもそれは難しくて、なかなかうまくいかなかったんです。そこで、シンプルな形をしているのに、接着と剥離の機能がきちんとあるショウジョウバエでやろうということになりました。ショウジョウバエは他の昆虫と比べると足先の毛の数が少なくて、かなりシンプルな構造なんです。
接着剥離の世界だと生物ならヤモリの人気がありますが、ハエはあまり着目されていませんでした。人と同じことをしていても意味がないなと思ったことも、ハエを選んだ理由としてありますね。変更してからは2年ほどで結果を出すことができました。虫によって接着と剥離の構造が何パターンかありますが、やはり形がシンプルな方が作るとしても楽です。とはいえ、最初の昆虫でさまざまな試行錯誤をしていたベースがあったから、比較的容易だったともいえます。
——今後はどのような展開が予想されますか?
産業用のロボットでつかみにくいものをつかめるとか、そうした方向での活用が期待できます。使い方によって材料合成を変えていかなければならないので、研究の成果を応用させていく予定です。逆に、こうしたものってどんなものに利用できると思いますか?
——なんでしょう…高層ビルの窓拭きに活用できそうな気がします。人が入れないようなところに接合と剥離を繰り返すロボットが入ってくれたら、すごくいいなとか。身近なところなら壁につけはずしができるようなインテリアとか、収納アイテムとか…本当に素人考えですが。
ありがとうございます。違う分野の方は新しい発想を持っているかもしれないので、いつも聞くようにしているんです。
異分野研究の交流におけるメリットと注意点
——お話を伺っていると、ハエの研究に関しては木村先生との出会いが大きかったように思います。
確かに、木村先生がいなければこの方法に簡単にはたどり着けなかったと思います。木村先生とは、学術振興会の中の新学術領域で行われていた、生物規範技術と言うプロジェクトで一緒に研究をしていました。そこでいろんな話をするうちに、一緒にやったら面白いですねということになったんです。学術交流というか、分野交流で話している中で、お互いに面白いねということから始まっています。
——他の研究者との交流から画期的なものが生まれてくると面白いですね。
バイオミメティクスは生物から学んで工学に応用する学問ですが、それでも生物学と工学の研究者が一緒にやるということはあまりないんです。元々あるようなやり方でそれぞれでやっていることが多いのですが、一緒にやるほうが新しい発想は生まれやすいでしょうね。
ただ難しいこともいっぱいあって、分野が違うと同じ単語でも違う意味で用いるので、お互い初めは何を言っているのか理解できないということが結構あるんです。そういう部分で、最初は交流が難しいところもありますね。でも私自身は異分野交流を行うからこそ、新しい視点や発想が生まれ、研究が大きく進むと考えています。
——まさに今回の研究成果がそれを表していますね。
私は工学部出身なので生物については知らないことばかりです。ですので、異分野融合で何かをやる場合は、必ず専門の人と一緒にやろうと思っています。学位を取ったシュツットガルト大学でも、その後NIMSに入ってからドイツのマックス-プランク研究所に行った時も、生物の研究室で一緒に研究をさせていただいたという経験があります。自身の専門外の知見を取り入れたいときには、その道の専門家の力を借りるのがよいですよね。
材料の研究はいろんなことが理解できて面白い
——細田先生は進路を決めるにあたり、なぜ工学部を選ばれたんでしょうか?また、材料分野を選んだ理由は?
私は宇宙飛行士になりたかったんです。そうするとやはり工学科かなと。ドイツで材料系の勉強をしましたが、これが本当に面白くて。全てのものは材料でできているんです。だから材料を勉強するといろんなことが理解できます。なぜものが壊れるかとか…。本当にいろんなことが分かって面白いです。
——材料研究は少し地味なイメージがあって、これまでは注目されにくい分野でもあったと思うのですが、学生時代から材料の面白さを感じておられたのですね。
そうですね。それに、材料研究はドイツではとても発展しています。マックス-プランク研究所もとてもいいところで、そこに行けたことも良かったのだと思います。
文化の異なるところ、レベルの高いところにあえて挑戦する
——若い研究者に向けて、どうすれば細田先生のような研究者になれるのか、アドバイスをお願いします。
まず、いろんな分野の人とお話しするのは幅が広がるし、必要なことだと思います。それに異分野の領域に出ていくと、そこではむしろ自分の知見が強みとなって発揮できるんですよ。ですので、いろんな分野に積極的に出て行くといいんじゃないかと思います。全てが自分の幅になると思います。
——興味の赴くままいろいろな学問をかじってみることと、専門性を確立することの両立は大変そうです。
そうですね、一本の軸となるものがあって、そこをもとに発展させていくのが良いと思います。私の場合は、最初のテーマ「接合と分離」という芯があり、そこはブラさずに研究を続けてきました。材料は生物でもほかのモノでも、すべてが接合と分離につながっています。
——海外に出られたことはどんなふうに実になっていますか?
学生時代に海外へ行くのはいいことだと思います。文化の違うところで学ぶことができるし、意識も変わります。私は最初にドイツに行った時、黙っている学生でした。日本では沈黙は金であるなどと言いますしね。でもそこでお世話になっていた先生に、言い方はあれですが、「会議において沈黙はバカである」と言われてしまったんです。そこで「ああそうか」と思って、それからは必ず何か一回は質問するトレーニングをしたりしました。
また、もう一つアドバイスをするとしたら、IF値の高いところに論文を出して欲しいですね。そうすると世界中から反応が来ます。世界中の研究者とサイエンスでつながることができるのが研究のだいご味でもあります。ぜひ挑戦してほしいと思います。
——レベルの高いところに勝負に出るのは勇気がいりますが、得るものは大きいですね。今日は貴重なお話をたくさんありがとうございました。
細田 奈麻絵(ほそだ なおえ)
シュツットガルト大学博士課程卒(理学博士)。マックス-プランク金属研究所研究員、東京大学先端科学技術研究センター・助手、同大学工学系研究科精密機械工学専攻・助教授を経て、2003年からNIMSに所属。材料学と生物学を融合し、循環型社会のキーテクノロジーとなる、可逆性接合・接着技術の開発を行っている。専門分野はバイオミメティクス、材料科学。
(本記事は「リケラボ」掲載分を編集し転載したものです。オリジナル記事はこちら)
研究職をはじめとする理系人の生き方・働き方のヒントとなる情報を発信しています。
理想的な働き方を考えるためのエッセンスがいっぱいつまったリケラボで、人・仕事・生き方を一緒に考え、自分の理想の働き方を実現しませんか?
https://www.rikelab.jp/