我々人間に狙いを定め、気づかぬうちに血を奪う……ふわふわ飛んでいるようで、スナイパーさながら的確に、迅速に任務を遂行し、おまけに嫌~なかゆみをお見舞いして去っていく夏の風物詩(?)。……そう、「蚊」です。追いかけて両手で挟み撃ちしようとしてもなかなか捕まらない! そんな悔しい経験をしている人も多いはず。それは、蚊がほかの虫とは異なる特殊な飛行特性を持っていることが原因かもしれません。
実は蚊の飛行中の観察は非常に難しく、どのようなメカニズムで飛行しているのか、これまではよくわかっていませんでした。それを明らかにしたのが、千葉大学大学院 工学研究院 助教、中田敏是先生です。
蚊は、感染症を媒介することからもその生態の解明は重要な研究テーマです。飛行メカニズムがわかれば、蚊を寄せ付けない方法を見出せる可能性があります。それだけでなく、その精巧な飛行メカニズムが明らかになることでドローンなど無人航空機の改良に応用することも期待されています!
中田先生が明らかにした蚊の飛行特性とその研究過程、さらに蚊の運動を機械工学分野へ活かすバイオメカニクスの話など、興味深い研究内容について伺いました。
視覚ではなく触角で障害物を検知している⁉
──まず、先生が蚊の飛行特性について研究を始めたきっかけを教えてください。
もともと私は虫の羽ばたき、たとえば虫が羽ばたくことで周りの空気がどのように変化し、どれくらいエネルギーを使うのか、といった研究をしていました。いわゆるバイオメカニクス、生体力学という学問分野が専門です。
イギリスのオックスフォード大学でポスドク研究員をしていた際に、蚊の研究を専門にしていた方たちから私の所属していたグループに声がかかり、2013年から一緒に研究をすることになりました。
蚊が暗闇でも壁や床にぶつからずに飛べるのは何故か? と考えたときに、「どうやら気流を検知しているからではないか、それなら力学的解明が必要だ」ということになったわけです。
──「蚊が暗闇でもぶつからずに飛べるのは、気流を検知しているから」という仮説を最初に聞いた時は、どんな印象でしたか?
「挑戦的な仮説だなあ」と驚きました(笑)。
というのも、虫は「複眼」を持っているなど、視覚がすごく発達しているというのが我々にとっての常識なので、基本的には、障害物なども視覚を使って検知するというのが当たり前だったんです。それなのに、目ではなく、触角を使って感じ取った情報で飛んでいるなんて…。「そんなことあり得るの?」といった印象でした。
──その常識が覆ったということですね……。
そうです。研究の結果、「蚊は、みずからの羽ばたきによって生じた気流が壁などの障害物に跳ね返って乱れるのを検知することでぶつからずに飛ぶことができる」ということがわかりました。常識を覆される結果に我々自身驚きました。
気流を検知するのは触角についたジョンストン器官と呼ばれる場所で、体長の約10倍、3〜4センチ先の気流の乱れを検知できます。わずかな空気の流れも読み取ることができる「超高感度センサー」が、蚊の身体に備わっているというわけです。
蚊は「羽ばたき方」も常識外れ
触角で障害物を検知しているというほかにも、他の虫には見られない特殊な性質を発見することができました。気流です。蚊の羽音を思い浮かべてみてください。「プ〜ン」という高い音がイメージできると思います。これは蚊の羽ばたきが非常に速いからです。
蚊と同じくらいのサイズのショウジョウバエは一秒間にだいたい200回ほど羽ばたくことが知られているのですが、蚊はその3倍以上の600〜800回、しかも振幅は40度と、ものすごく細かくすばやい羽ばたきをしています。
これまで測定されてきた昆虫の中で、最小の振幅で羽ばたくミツバチが約90度。その半分以下の振幅で飛べること自体とても驚かされるのですが、それを可能するため、蚊はみずからを支える特殊な気流を生み出し、飛んでいることがわかりました。
──1秒間に800回羽ばたく!?どうやってそれを観察したのですか?
高速度カメラとシミュレーションです。蚊を8台の高速度カメラで撮影して、撮影データから翅(はね)の動きを測定し、シミュレーションを行なうという研究手法をとりました。
中でも苦労したのが、やはり蚊の動きを撮影する点ですね。動きを3次元的に捉えるには、複数台のカメラで同時に撮影しなければならないので、きちんと映る範囲はだいぶ狭まります。そのピンポイントなところを蚊に飛んでもらう必要があるので、動きを解析すること自体が簡単なようでかなり難しいんですよ。
当初は蚊を針金の先に固定してみたりもしましたが、固定されると当然逃げようとするため、自然なデータがとれなくて。最終的には、カメラに映る範囲の外側に水を含ませた脱脂綿を設置し、蚊が水を飲みに来る動線上を撮影範囲に入れることでなんとか撮影しました。
それでも、朝から晩まで撮影を続けて、うまくいくのが平均で1日に5回ほど。蚊がアクティブになる夕方以外はじっとしている時間も長く、撮影はかなり大変でしたね。
──研究をされていくうちに、次々と蚊の変わった特性がわかってきた中で、先生の中で蚊に対する印象はどんなふうに変化されましたか?
簡単につぶさなくなりました(笑)。
血を吸われるのは嫌だけれど、蚊は蚊なりに工夫しているし、結構精密なつくりをしているし……。親しみみたいなものを感じるようになりました。
これは私たちの研究以前からわかっていたことですが、蚊は気流以外にもものすごくいろいろな情報を検知していて。たとえば二酸化炭素や熱、人間の肌から出る物質などを触角で検知することで、人がいる場所を判断していると考えられています。
暗闇で、壁などの障害物を避けながら、寝ている人の血を的確に吸いに来られるのもそのためです。このように、蚊は小さな体のなかに、数々の情報をキャッチし処理できる、非常に優れたセンサーを持っています。
純粋にすごいですよね。でも、人の存在に関係なく、空気中に二酸化炭素や化学物質が含まれる場合もありますし、様々な情報が混在している空気の中でどうやって的確に人間だと判断しているのかなど、まだまだ謎も多いんですよ。
──私たちにとって身近な存在で、夏の悩みの定番でもある「蚊」ですが、まだまだ謎が多いとは意外です。
そうですよね。蚊取り線香や虫よけ剤に対する反応など、商品開発に関わるような研究はよくされているのですが、蚊の生態そのものの研究はほとんどされてこなかったのですね。蚊は空中を飛ぶので動きを解析するのが難しかったり、人間の血を吸うため扱いにくい面があったのでしょう。
画期的な蚊を避ける装置が作れるかも?
──研究結果を今後どのように活かしていきたいとお考えですか?
今回は、蚊が気流の変動を検知することで、壁や床などの障害物を避けながら飛ぶことができるということがわかりました。この結果を逆手にとれば、何か特殊な気流を起こすことによって蚊を勘違いさせることができるかもしれません。
つまり、蚊が近寄れない空間を作ることができるようになるかもしれない、ということです。何か特殊な音や風を当てることで、蚊を遠ざけられるようなものを作れたら、と思っています。
──蚊を寄せ付けない技術ができるかもしれないなんて……夏のあのかゆみから解放されると思うと、夢のようですね!
先ほど、蚊に親しみをおぼえたことで簡単につぶさなくなったと話しましたが、やっぱり血を吸われるのは嫌ですからね(笑)。蚊の飛行メカニズムを利用することで、蚊をつぶさずに、寄せ付けないための手法を確立できたらいいですね。
それと、蚊が気流の変化を感じ取って障害物を検知するという仕組みをドローンなどに活用する研究も進められています。現在市販のドローンは、カメラや超音波センサなど、様々なデバイスを載せて床や壁を検知し、衝突を防いでいます。
ただ、ドローンのプロペラも、気流を起こして飛行している点では、蚊と同じです。この、プロペラが起こす気流が障害物に当たって、その気流が変化するのを蚊と同じように検知することで、超音波などの障害物を検知するための信号を発したり、カメラを載せなくても、壁や床の存在を検知できるという技術です。つまりシステムをシンプルにできるということで、今後、機械工学分野での応用が期待されます。
──中田先生ご自身は、今後どのような研究を続けていきたいとお考えですか?
感覚的な話にはなってしまいますが、私からすると蚊というのは、すごく飛ぶのが下手に見えるんですよ。トンボみたいにキビキビ飛ぶのではなく、ふらふらと飛んでいるように見えるのが、そういった印象を抱かせるのかもしれませんが……。
そして、どうしてああやってふらふら飛ぶのか、ということはまだわかっていません。もしかすると意図的にああやって飛んでいるのかもしれませんし、蚊の特殊な羽ばたきの運動をしていると、ふらふらとならざるを得ないということもあるかもしれない。
このように、蚊に限らず虫にはまだまだわかっていないことがたくさんあって、高速度カメラでの撮影が成功しているのも、何十万種類いる虫のなかでせいぜい数十種。
虫の世界にはそれだけフロンティアがありますし、だからこそ純粋に「もっともっと知りたい」と思えるんです。生きものの体の作りって本当に感心させられることばかりで、知るたびに感動する。もっともっとたくさんの生きものを見たいですね。
たとえば、虫以上に「鳥」の撮影も難しく、わかっていないことが数多くあります。虫や鳥の動きをさらに解明して、効率的にエネルギーを使って優雅に飛ぶ、安全なドローンなどもつくれたらいいなと考えています。自然界でつくられた生き物の仕組みを解明し、それを工学にも応用する「生物模倣(バイオミメティクス)※1」をずっと探求していきます。
「面白い」がいちばんの原動力に
──ところで先生は、どうして虫の研究の道へ進まれたのですか?
小さいころから虫が好きだったからですね。機械も好きでした。子どものころから、こわれた機械を分解するのが好きだったり。今思い返すと、虫のことも「精密なロボット」のようにとらえていた部分があって、虫も機械も、同じような楽しみ方をしていました。
──まさに今の先生のご専門は、蚊をセンサーと捉えたり、虫と機械の領域が交わっていますね。
そうですね。虫がどうやって羽ばたいているか、翅(はね)や筋肉の構造はどうなっているのか……といったように、生き物を機械工学の観点から探求する「バイオメカニクス」は、まさに子どものころからやりたかったことですね。
──バイオメカニクス、とても面白いです。でも、虫や生き物が好きということから出発すると、生物学はすぐに思いつきますが、工学は思いつきにくいですよね…。学問が細分化されたり融合したりと複雑になっている中で、どうすれば先生のように、自分の興味関心にぴったり合う分野を見つけられるでしょうか。
やっぱり、いろいろと経験することが大切だと思います。とにかく経験してみて、何かちょっとでも面白いと感じたら、騙されたと思って一生懸命やってみる。
私がイギリスにいた時にすごく感じたのが、「面白い」と思う気持ちのパワーの大きさです。イギリスで出会った研究者たちは、とにかく「面白い」をモチベーションに研究に取り組んでいる方が多く、その情熱が桁違いの人が多かったです。時間がある限り論文を読んでいて、知識の量がものすごいんですよ。
心から面白いと思っているからこそ、勉強にも身が入るわけです。そんな環境の中で、私自身も昔から好きな虫と触れ合ったり、機械やものづくりの分野に研究の成果を活かしたり、興味の赴くまま思い切り「面白い」と思うものに取り組むことができました。
もしまだ「これだ!」という道を見つけられていなくても、とにかくいろいろ経験してみることで、本当に自分がやりたいものと出会える確率が高くなると思います。何かひっかかりがあれば食わず嫌いをせず取り組んでみてください。思い込みを捨てて、分野にこだわらず、とにかくやってみることが大切なのではないかなと思います。
中田敏是 千葉大学大学院工学研究院 助教
2012年に千葉大学大学院工学研究科博士後期課程修了。博士号を取得後、オックスフォード大学(英国)、王立獣医大学(英国)でポスドク研究員となる。その後、2016年1月より千葉大学で特任助教(プロジェクト付き)となり、2019年より現職にて活躍中。
中田先生が所属するインテリジェント飛行センターでは「生き物に学ぶ賢いドローンVR展」を開催中です。こちらもぜひご覧ください!
https://caiv.chiba-u.jp
(本記事は「リケラボ」掲載分を編集し転載したものです。オリジナル記事はこちら)
研究職をはじめとする理系人の生き方・働き方のヒントとなる情報を発信しています。
理想的な働き方を考えるためのエッセンスがいっぱいつまったリケラボで、人・仕事・生き方を一緒に考え、自分の理想の働き方を実現しませんか?
https://www.rikelab.jp/