理系に進学・就職したら、まわりは男子ばっかり……!?

最近はそんなことも減ってきましたが、日本では、なぜか「理系といえば男子」のようなイメージが持たれがち。そんななか、今より、さらに理系に女子が少なかった時代の先輩リケジョはどうしていたの!?

京都大学で発生学を研究し、1986年から京都パストゥール医学研究センター主任研究員、1994年からはルイ・パストゥール医学研究センターインターフェロン・生体防御研究室室長などを歴任した宇野賀津子さんと、同じく京都大学を卒業後、同大学助手を23年間つとめ、素粒子論を研究してきた愛知大学名誉教授の坂東昌子さんが語る、「リケジョの生き方」のアドバイスを聞いてみよう!

今の日本では、とくに理系の職場では、ほとんどが男性ということが少なくありません。皆さんの中には、理系を選んだために、すでに高校時代から、周りには男性ばかりで女性は少なかったという人もいるでしょう。

もっとも世の中はどんどん変わってきていて、こういう状況がいつまでも続くわけではありません。実際、アメリカでもヨーロッパでも、今では大学の卒業生は半分以上が女性です。とはいえ今のところはまだ女性が少ないのは事実です。男性が多い組織にいると、女性は孤立してしまうか、反対にちやほやされて甘やかされるか、どちらかになりやすく、どちらもよくありません。それでは本当に成長しあう仲間がいなくなってしまいます

こういう時にこそ、女性はしなやかでスマートに生きる必要があります。女性のほうから積極的に心を開き、みんなと交流し、しかもちやほやされないように身を守ること──これができないと、つまらないトラブルに巻き込まれるだけでなく、成長できなくなってしまいます。

この記事では、男性優位の理系の世界で生きる心構えを考えてみましょう。

1.議論を戦わせ批判しあう

研究とは、遠慮なく意見を出し合い、時にはけんかでもしているような調子で反論したりしながら、真実を見つける作業です。もちろんそこには男性も女性もありません。

私(坂東)が理論物理の大学院に入ったころ、総勢12~13人の大学院生のうち、2人が女性でした。修士1年のころ、全体ゼミで激しい議論をしていると、奈良女子大学から来た同級生が突然泣き出し、「あんな激しい議論は奈良女でははしたないことだと思っていた」と言っていました。しかし、そんな彼女もすぐに議論に慣れてたくましくなり、今では奈良女子大学の教授となっています。

ところで、そもそも女性は言語能力が男性より発達しており、生まれながらにしておしゃべりであるという説があります。それなら、その特性を積極的に生かそうではないですか。共同研究の相手を積極的に見つけ、仲間をたくさん持つ。女性だからと必要以上にちやほやする人や、逆にばかにする人は無視して、本当に批判してくれる仲間を増やしましょう。

批判を糧に変えられる人は、その時点では大したことはなくても、あとできっと伸びます。仲間の意見や批判をきちんと受け止められると、人間は飛躍的に成長するのです。

2.女性であることが得になる?

私(坂東)は、どんなに「偉い人」が提案したことでも、おかしいと思ったら批判するのは当然だと思い、意見を言ってきました。このことに関してだけは、私は女でよかったと思うことがあります。

学部長をしていた時、会議の後で、「坂東さんは得をしていますね。女で、しかも関西弁でなかったら、あんなにきついことを言ったらケンカになってしまうところですよ」と言われました。私はものをはっきり言わないと気が済まないし、無駄な時間も使いたくないという質(たち)です。しかも理学部では、学問上の議論に遠慮がなく、時にはケンカをしているとしか思えないような激しい議論をします。

だから、教授会などでときどき、「そんなことを今ごろ言うなんて、アホとちがいます?」などと発言してしまいます。私が男で、アホをバカと言い換えたらケンカになってしまうというのです。

私ってやっぱりちょっときついのかなあ? しかし、少なくとも私が変な政治的策略のために言っているのではないことを、みんながわかってくれたのは、女性であることが幸いしたように思います。

いずれにせよ理系の女性は、こういう、きついけどさっぱりした関係は作りやすいような気がするのです。

3.お嬢さん芸はNG

女でよかったと言っても、もちろん、それが売り物になってしまっては研究者としてやっていくことはできません。

私は、初めて参加した研究会の帰りに、先輩から「女性だからといってお嬢さん芸ではだめだ。誰かが発表したあとで、自分も同じことをみつけていたと、いくら言ってもしようがないんだよ」と研究の厳しさを諭されました。

私は、その後の研究生活でこの言葉を忘れることはありませんでした。プロを目指す心得をたたきこみ、そして鍛えてくれたのは、研究者には女性も男性もない、みな立派に育ってほしいと願ってくれるたくさんの仲間だと、いまでもありがたく思っています。そうでなかったら、この世界で私などとうに落伍していたに違いありません。

4.セクハラには毅然とした態度で


理系では、仲間と言っても、多くの場合圧倒的多数は男性です。一緒に研究を進めていく過程で、異性同士、愛が生まれることも珍しくありません。しかし研究の場では、あくまでも共同研究者として適当な距離を保つことが大切です。

男性と女性の場合は、概して男性が女性を指導していると見られてしまいます。実際にはそうでなくても、実情を知らない周囲はそう見がちです。男性同士だと、共同研究を進める一方でライバル関係の緊張も生じて、ホットな議論が交わされることになります。それが相手が女性だと、そうはできない男性もいます。これは、日本の社会全体が成熟していない証拠でもあります。

理系では男女の比率がアンバランスなためか、異性とのつきあいになれていないことも多いようです。ともに研究を進める同志としての絆と、異性との恋愛感情に混乱があれば、互いに独立した研究者としての良い関係を長く築いていくことはできません。それが上手にできなければ、理系の世界で生きていくのは難しくなります。

女性自身が実力を磨いて、仕事も議論も、遠慮なしに思ったことを発現する姿勢を貫くことが大事です。仲良くしながら、「変なことをしたり言ったりしたら、許しませんよ」という毅然とした態度もそこはかとなく醸し出しておくことです。

5.外国留学は女性に有利に働く

一般に外国で研究を続けるほうがポストを得やすく、女性は特にその傾向が強いです。さらに、トップクラスの大学院では優秀な男性院生も多いので、女性はそれを凌駕して「断然に優秀」でないと、就職にしろ何にしろ、男性が優先されてしまいます。同じ大学で男性と張り合って教授になることは、ほとんど望めません。

ところがなぜか、外国で評価された留学帰りの女性は、男性と同じ土俵で評価されます。

女性の地位向上にいち早く取り組んだアメリカでは、女性か男性かではなく仕事で評価してくれます。だから時には留学先のボスがポストを見つけてくれることさえあるのです。

一般に留学経験は女性に有利に働くから、多少の苦労は厭わずにチャレンジしてみる価値があります。

6.ドクターは無理をしてでもとるべし!


私たちが院生のころは、ドクター(博士号)を取っても、それで就職できるわけではありませんでした。しかし、実利的な意味からも、女性研究者は多少無理をしても博士号を取っておくべきだと思います。

私(宇野)が京都パストゥール研究所(現ルイ・パストゥール医学研究センター)に就職したとき、連日いろいろな業者と交渉していました。その中には初対面の人もたくさんいました。「宇野と申します」と出ていくと、一瞬相手の顔に「なんでこんな若い女が……」という表情が見えました。

しかし名刺を差し出すと、「はあ、主任研究員! 理学博士!」という反応が返ってきます。名刺を見せて、肩書に気付いてもらって、初めて交渉の場につけるというわけです。

もしも名刺に「理学博士」の4文字がなければ、対等の立場で交渉できなかったかもしれません。私はその後、特に若い女性には「ドクターは多少の無理をしても取っておいたほうがいい」と言っています。

7.専門を変える勇気を持とう

ただでさえ女性研究者の就職は男性に比べて厳しい。私(宇野)も一番大変だったのは就職でした。研究そのものは、多くの人に支えられて、何とかぼちぼち進んでいました。ところが「ポストを得たい」というと、「女の人は子供ができると辞めるのでね」と言われてしまう。

それでも「9時から5時でも、めいっぱい仕事をするなら、うちの研究室に来てもらってもいいですよ」と言ってくださった方がいて、とてもうれしかった。しかし、そのために私は、住み慣れた発生学の世界から免疫学研究室へ、専門を変えなければなりませんでした。

女性が理系で生きていくには、専門を変えることに対して、男性よりずっと勇敢である必要があります。そして女性研究者の間では「ポストがあればともかく就職。そして新分野を開け」というのが合言葉になっています。

男性たちは伝統ある講座のポストが好きで、新設講座や環境だの生活だの看護だのというアカデミックでない名の分野を嫌います。それなら私たち女性は、少し専門を変えてそういう分野にどんどん進出しようではありませんか。


この記事は、2000年発行の講談社ブルーバックス『理系の女の生き方ガイド』(宇野賀津子、坂東昌子著)の中から、Web公開用に一部を抜粋・再編集したものです。