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相手の心に届く、わかりやすい表現をするために、さまざまな方法が提案されているが、ここでは表現の受け手のことを考えるという工夫を、海保博之さんのブルーバックス心理学者が教える 読ませる技術 聞かせる技術』よりまとめてみた。

相手がわかる場合とわからない場合

話したり書いたりといった表現する相手が、10歳の子供ならこれくらいの知識はあるはずとか、初心者ユーザーにはこうした用語はわかってもらえないかもしれないとか、受け手についてのこうした認識は不可欠である。とりわけ、受け手の知識の量と質について思いをはせることが大事である。

認知心理学的に言うと、相手のメンタルモデルを徹底して考える、となるようだ。メンタルモデルとは、人が心の中に作り上げる世の中についての仮説とも言える。世の中のありとあらゆることについて、それぞれの人がそれぞれの事柄のメンタルモデルを作り出している。

また、メンタルモデルという考え方を知ると、話がどうしてもかみ合わないとき、相手のメンタルモデルと自分のメンタルモデルとが大きくかけ離れているからだとわかれば諦めがつく(諦めてもいいようなときに限るが)。

こちらが相手のメンタルモデル近い部分から話をすり合わせようにして、わかってもらう努力をしても、相手がこちらのメンタルモデルについて少しも想像できないほど頑なであることは、よくあることだ。

5歳の子供を相手に何かを伝えたい、毎日顔を合わせている母親と話す、同じ専門の研究者に自分の考えを論文にして伝えるというのなら、相手がどのようなメンタルモデルを持っているかはだいたい見当がつく。それなりのコミュニケーションの仕方がわかる。

これが、読み手が誰になるかよくわからない新書本を書く、インターネットの記事を書く、多彩なユーザー相手に商品の説明書を書く、PTA総会で講演する、いろいろな専攻の学生相手に講義をするなどとなると、とたんに困る。

相手が目の前にいるときには、相手の反応を確認しながら話ができる。もっともこんな簡単にできそうなことでも、たとえば、相手の人数の多い講義や講演では、よほど工夫をしないとむずかしい。

そんなときはメンタルモデルを少ない数の類型に分けられないかを考えてみよう。メンタルモデルが、いかに個人の恣意的なものであるとしても、まったく1人1人違っているということはない。長い年月にわたる教育を受けた結果として、あるいは共通の文化のもとで生活することを通して、ある共通のものの見方や考え方を身につけているはずである。

まず、メンタルモデルを構成している知識量の多少である。この視点から、相手のメンタルモデルに配慮する一例をあげてみる。

【写真】相手のメンタルモデルを考えながら表現する
  相手のメンタルモデルを考えながら表現することが大切だ photo by iStock

【相手の知識量が少ない場合、説明の詳しさよりもわかりやすさを】

詳しく説明することが、時と場合によっては、もっとも大事になることがある。新しい技術を説明する、法律を作る、契約書を書くなどなど、書くべきことを書いておかないと、問題が発生する。 

しかし、考えてほしい。一般人が生命保険の契約書のあの細かい条項をすべて読んで完全に理解するように言われたら……。多少の説明の粗さは許すとして、契約書、法律の基本精神、大事なところ、これまでと異なるところをやさしく解説してほしいというのが、門外漢の願いであろう。

簡単なことのようだが、これがなかなかできていない。

【写真】詳しいことが分かりやすいとは限らない
  問題が発生しないようにとはいえ、法律や契約書の細かい条項は難解だ photo by iStock

【「比喩を使う」という工夫】

比喩は、目の前の現実を、すでにあるひとまとまりの知識(これ自体がまたメンタルモデルに他ならないのだが)を使って解釈してみることである。

コンピュータというわけのわからないものを目の前にして、さてどうするかというときに、コンピュータも計算する、記憶するという働きがあることを知って、「ああそうか、人間の脳のようなものだ」として、コンピュータの働きを、以後、人間の脳の働きになぞらえて解釈していこうとするものである。

比喩理解のポイントは、まず、たとえの「ウソ」に気づくことである。コンピュータが脳ではないことは、はっきりと認識できなくてはならない。

ついで、ウソにもかかわらず、たとえられるものとたとえるものとの間に、見かけでも機能でも、どこかに似たものがあることに気づかないと、少なくともわからせるための比喩は成立しない。この類似性に基づいて、類似性からはみ出た部分(顕現素性)がたとえられるものへと転写されて、「わかった」となる。

【図(イラスト)】比喩は、「ウソ」であっても、「似ている」ものであること
  比喩は、「ウソ」であっても、「似ている」ものであること

比喩を使う利点は、直観的にわからせることができるわからせたいことに親しみを持たせることができるわかったという感覚を持たせることができる、といったことである。

【「題目文は前に」という工夫】

題目文(トピック・センテンス)とは1つのパラグラフ単位内の、意味の核となる文のことである。

読み手は、文章を読みはじめると、頭の中にメンタルモデルを作り始める。これに基づいて、次々と入力されてくる語句や文の意味についての仮説を立てる。

仮説に合った(照合する)語句や文はすばやく処理されるが、仮説に合わない文章が入ってくると、わからない、おかしい、ということになり、処理に時間がかかる。場合によっては、それまでに作り上げられていたメンタルモデルを変更することになる。

【写真】仮説に合わない情報が入ってくると処理に時間がかかる
  仮説に合わない情報が入ってくると処理に時間がかかる photo by iStock

題目語(文)が先頭にくると、このメンタルモデルを作るのに都合がよい。「これから述べることはだいたいこういうことです」と、あらかじめ宣言してくれているわけであるから、読み手はそれに合わせて長期記憶内の知識を準備できる。

題目語(文)が、言わばこれから述べることの枠組みを作り出す役割を果たしてくれるのである。

注:長期記憶とは、学問的な知識はもちろん、自分だけにしか意味のない知識、体験的知識などなど、膨大に蓄えられた多彩な情報で、「知識」と言い換えることもできる。〈「思い出せない!」脳のしくみ〉の記事もあわせて参照して頂きたい。

【「今、何をしているのかをはっきり」という工夫】

勉強や仕事をしていても遊びをしていても、我を忘れるほど熱中すると、自分が今、何のために何をしているのかが一瞬わからなくなることがある。

あるいは、町を歩いていて、ふと自分がどこにいるのかわからないのに気づかされて驚くことがある。こんなときに人は不安にかられる。

こんなときに、当面頼りになるのが、メンタルモデルである。

普通は、何をするときでも、我々は、強弱はあっても、メンタルモデルに依存している。自分のしていることが全体のどこに位置しているか、そのあとに続くものは何かをそれなりに知りながら状況を理解しようとしている。この理解が、「安心してことに打ち込める」につながる。

これが、いつもとは違った新奇な状況におかれると、しばしば、今、自分がしていることの位置づけができなくなることにつながることがある。1つ1つのことはわかるが、全体がわからない状態におかれることがある。メンタルモデルが状況の複雑さに負けてしまうのだ。

入力された情報を個別的には処理できても、それをどこに位置づけてよいかわからない。処理された情報が、長期記憶の中をおさまるべき場所を求めてさまよい歩くような状態が発生すると、不安になる。こんな状況は、好ましくない。文書作りやプレゼンを例にとれば、話のところどころで、

・それまでの話のまとめ
・あと残りは何で、分量はどれくらいかを示す
・今、表現していることが、前の何と、また後の何と、どう関係しているかを随所で示す

といった工夫をすることにより、適切なメンタルモデル構成の支援をするとよい。

【図(イラスト)】話のところどころで入れるポイント
  分かりやすい表現のポイント illastration by iStock

まとめると

メンタルモデルの特徴をまとめて、ここでの話を締めくくる。

  1. 恣意的である
  2. 一貫している
  3. 状況との対応は完全ではない
  4. 状況に応じて変わる
  5. 試行錯誤的に状況とかかわらせる

それぞれについては、『心理学者が教える 読ませる技術 聞かせる技術』に詳しく取り上げた。ご自身の文書やスピーチをより魅力的なものにしたいと思う方は、ぜひ、ご一読頂きたい。

もっと知りたい! 今回の記事以外にも様々な表現のコツを解説

心理学者が教える 読ませる技術 聞かせる技術

【書影】読ませる技術 聞かせる技術

海保 博之 著

誰もがブログやSNSで表現者となっている時代。表現することの大切さと難しさを痛感している人も多いはずです。

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