東京工業大学の細野秀雄栄誉教授・特命教授といえば、
- テレビやスマホのディスプレイにもはや欠かせない素材となった「透明な半導体」の実現
- 100年ぶりの革命とも呼ばれる新しいアンモニア合成技術のカギを握る触媒の発見
- 鉄は超電導と相性が悪いとされてきた従来の常識を覆す、鉄系超伝導物質の発見
など、常識に捉われない発明を続ける材料科学者として知られます。
電子の動きに魅了され、電子を軸に置いて自由に発想を広げながら「ありえない」成果を次々と発表し続けてきた。そんな細野教授が考える研究者の責務や、新たな発想が生まれる源泉について、お話を伺いました。
「まさか?」を「すごい!」といわせた研究
―酸化物といえば基本的に電気を通さない絶縁体です。それが電気を通す半導体になるなどとは、誰も考えもしなかったのではないでしょうか。
細野:確かにアモルファス酸化物といえば、ガラスと同じような構造の絶縁体です。絶縁体なんだから、普通に考えれば電気など通すはずもない。したがって電気を通す導体と通さない絶縁体の中間の性質を持つ半導体として使えるなどとは誰も考えないわけです。もちろん自分でも最初から、実用になるなどと確証していたわけではありません。ただ私はずっと電子の動きに着目して研究してきたので、可能性がないとは決して思いませんでした。1994年から研究を始めて一定の成果を出せたので、翌年に開催されたある国際会議で透明なアモルファス酸化物半導体について発表しました。もっとも予想通りというか、みんな「まさかそんなことはありえない」と思ったのでしょう。残念ながら反響はまったくありませんでした。
―それが『Science』『Nature』と立て続けに論文が掲載されて、一躍注目を集めたのですね。
細野:2003年に『Science』に結晶IGZO-TFT(インジウム(In)・ガリウム(Ga)・亜鉛(Zn)・酸素(O)からなる透明薄膜トランジスタ(Thin Film Transistor))に関する論文、2004年には『Nature』にアモルファスIGZO-TFTに関する論文が掲載され、研究成果が正式に認められました。本来は絶縁体であるはずの透明な酸化物を使って半導体ができた。要するにとんでもない出来事が現実に起きてしまった、というわけです。この2つの論文は未だに引用され続けていて、引用総数は1万回を超えています。アモルファスIGZO-TFTは作製が容易で、それまで液晶ディスプレイなどに使われていた水素化アモルファスシリコンと比べて、電子移動が一桁速いのです。だからディスプレイに採用すれば画面を高精細化できる。しかも消費電力が低く透明度が高い。まさにスマートフォンやタブレットPCはもとより高精細な大画面ディスプレイに最適です。
―そのすごい発明のおかげでディスプレイ学会に新しいセッションができたと伺いました。
細野:2006年にアメリカで開催された学会が最初で、次に2008年に札幌で日本のディスプレイ学会が開催した国際会議では、サムスンの研究者がアモルファスIGZO-TFTについて発表しました。サムスンが本気で動き出すのであれば急がなければならないというわけで、これを機に実用化に向けた研究が世界中で加速し始めたのです。その結果、2012年頃から製品化が始まりました。研究を始めてから製品化までが20年弱ぐらいですから、かなり早いほうでしょう。
研究者の責務は、論文と知財
―製品化が視野に入っていた発明であれば、当初から特許の取得も考えられていたのでしょうか。
細野:もちろんです。一連の研究成果は、科学技術振興機構(JST)が行った創造科学技術推進事業(ERATO)の一つ「透明電子活性プロジェクト」で得られたものです。研究費として税金をいただいている研究者としては、論文発表だけでなく知財、つまり特許取得も欠かせない義務だと私は考えます。だから関連特許は論文発表と同時に、すべて押さえにかかりました。まず2003年に結晶IGZO-TFT、翌年にアモルファスTAOS(Transparent Amorphous Oxide Semiconductors)-TFTと実用化に関連する特許はひと通り取っています。
―とはいえ一般に研究者にとって特許取得は畑違いの業務であり、決して簡単ではないと思いますが。
細野:はい。ですので大学のTLOと相談して紹介してもらったキヤノンと共同出願しています。ただしキヤノンもできれば日本のディスプレイメーカーとタイアップしたいというので、ひと通り日本の全メーカーに声をかけて協力を求めました。ところが各社ともに時期尚早だとか、液晶ディスプレイには他の技術を考えているなどの理由で乗ってこなかったのです。
―国内メーカーの反応は芳しくなく、だから最初に製品化したのはサムスンだったのですか。
細野:サムスンもですが、実は私の技術に最も早くから注目してくれたメーカーはAppleでした。2006年のディスプレイ学会で発表したときからAppleは、私の発表を聞きに来ています。それからも毎年のように学会に来ていて、どうやら2010年頃に出す予定だったiPadの液晶に使いたいと考えていたようです。
―製品化が進みだすと改めて特許が問題になりそうです。
細野:特許成立の過程ではトラブルもいろいろありました。なかでも韓国の特許庁からは最初、特許を認められないと拒絶されました。その理由を尋ねると「容易類推」、つまり液晶関連の知識があれば誰でも思いつくような発明だというわけです。さすがに、この判断は納得がいかないと思いました。『Science』や『Nature』に掲載され、学会でも評価を得ているのだから、その判断はおかしい。そこでJSTと一緒に韓国特許庁を相手に審決無効訴訟を行ったのです。技術説明会には私が自ら出て行き、いかに革新的な技術であるかを懇切丁寧に説明しました。すると途中で裁判長が明らかに「しまった!」という表情を見せたのです。おそらくは彼らが知らなかった内容、特許に相当する革新性が、私の説明に含まれていたのでしょう。それでひっくり返りました。実用的な研究成果については、特許取得についても研究者が自ら向き合うべきだと改めて思いました。
―その後で、またひと悶着あったと聞いています。
細野:2013年の10月に判決が出て、2カ月後ぐらいにJSTとサムスンの契約が成立しました。今度はこの契約に日本のマスコミから非難の声が出たのです。要するに「それほど革新的な技術なのに、なぜまず日本メーカーとではなく、韓国のメーカーと先に契約するのか」というわけです。当時はちょうど日本のディスプレイメーカーが、韓国勢との熾烈な覇権争いの最中でした。そんなときに日本メーカーではなくサムスンと契約するなどけしからんと批判されたのです。ただし当事者である日本メーカーについては、どこからも文句は出ませんでした。キヤノンと一緒に主だった企業に声をかけたにもかかわらず、どこも断ったのだから文句のつけようがないでしょう。
―結果的には日本メーカーも乗ってきましたね。
細野:今後の展開を考えていたから、JSTがサムスンと結んだのは特許を独占使用できない「通常実施権」です。1社が独占してしまう「専用実施権」を国外メーカーと結ぼうとは思いませんでした。だから、後には日本のメーカーも使うようになりました。さらに韓国メーカーのディスプレイパネルに使われている部品の多くは、日本製です。つまり日本メーカーにも十分に貢献できていると思います。
使われないとつまらない。ただし運が8割
―後にLG電子の社長がわざわざ東京工業大学に来て、講演したと聞きました。
細野:2017年ですね。「東工大の発明のおかげで、有機ELテレビを世界で初めて製品化できた。いくら感謝しても感謝しすぎることはない」と話してくれました。研究室での研究成果が、世界トップクラスの企業の社長を呼び寄せた。この出来事は、ポスドクなど若い研究者たちには強いインパクトを与えたようです。材料研究の醍醐味とは、研究成果が実際に使われて、世の中の景色を変えてしまう点にあります。確かにこの頃からそれまで存在していなかった大画面ディスプレイが続々と登場して、テレビのある風景が変わりました。
―新たに次世代メモリとしての用途研究も始まっているそうですね。
細野:メモリに求められる条件は、電子の動きやすさと安定性の両立です。これを実現した透明アモルファス酸化物半導体「TAOS-TFT」メモリの研究成果は、2021年の『Nature Electronics』に掲載されました。実用化はもう少し先の話だと思いますが、TAOSを活用したメモリ開発は各所で進められています。実現すればコンパクトで大容量、データ伝送効率の高い画期的なメモリになる可能性があります。
アンモニア製造法でも100年ぶりの新発見
―一転してアンモニアの新しい製法に取り組んだ理由は、何だったのでしょうか。
細野:正直にいえば最初は「電子の動き」からつながった趣味レベルの研究でした。触媒の電子の動きに興味を持って研究を始めたのが2009年ですから、今のようにアンモニアが注目されていたわけではありません。それどころかまわりからは「アンモニア製造法の研究なんて、ハーバー・ボッシュ法が開発された100年前に終わってるじゃないですか」といわれました。それでも地道に研究を進めて、最初の論文を2012年に出しています。電子の動きに注目して、アンモニアという物質の特徴を突き詰めていく。そうすればハーバー・ボッシュ法よりも優れた、具体的には低温かつ低圧力での製造法の開発は可能だと、そんなアイデアを確かめたかったのです。
―そのうちに世の中の方が変わり、水素社会がいわれるようになってアンモニアの新しい製造法が注目され始めたのですね。
細野:確かにハーバー・ボッシュ法は、アンモニアの製造法として極めて優れています。ただし大規模な設備を必要とするから、どこででも手軽につくれるわけではありません。ところが社会情勢が変わり、これからは水素社会だといわれ始めました。その結果、水素のキャリアとしてアンモニアが注目されるようになった。そこでアンモニアの手軽な製造法が必要というわけですが、私自身はまさかこんな状況になるなどとはまったく思いもしませんでした。すでに研究自体は私が関わらなくても進んでいくフェーズに来ています。本音をいえば研究に取り組んでいて最も楽しいのは、流行りだす前から、少し流行りだした始めたぐらいの時期です。だから、そろそろ次のテーマに変えようかなどと思っています。
研究では若い人が絶対に強い
―2008年に鉄系高温超伝導物質の論文でも世界の注目を集め、一方でIGZOに代表される透明酸化物半導体を創出、さらに低温・低圧でのアンモニア合成方法を発明しています。異なる領域で次々と新しい材料を生み出してきた秘訣を教えてください。
細野:これまでの研究に共通しているテーマが「電子の動き」です。成果を見れば、多方面に亘っていると思われるかもしれません。けれども、私の頭の中ではすべてつながっていて、どれも電子の動きが絡んでいます。アンモニア合成に使う触媒も元はといえば、超電導になる物質でしたから。ただ基本的に1テーマ10年、つまり一生懸命に続けられるのは10年ぐらいが限度と思っています。一方でそれぐらいの時間をかけて1つのテーマに打ち込んでいると、自然と次のアイデアが浮かんでくるのです。とはいえ10年で1テーマですから、研究者人生では4つぐらいが限度ですね。
―アイデアを考えるためには、やはり文献を読み込んだりするのでしょうか。
細野:文献を丹念に読み込んで、現状の研究で抜けている穴を狙っていく人もいるようですが、私は違います。少なくとも私の場合、発想は自分の頭の中からしか出てこない。だから教科書を読むときも、書いてある内容に対して、自分なりに考え直しています。教科書にはこう書いてあるけれど、自分だったらこうしてみようといった感じです。電子の動きというのは、あらゆる現象のベースとなるものであり、しかもトンネル効果などという非日常的な動きもする。これは面白くて、いくらでも研究テーマが出てくるのではないでしょうか。
―研究者人生で追究できるテーマが4つぐらいだとすれば、30代から何かに取り組み始める必要がありそうです。
細野:だから研究では若い人が絶対的に有利なのです。若い人と我々のような年代の者が、仮に10年かけて勝負するとしたら、まちがいなく若い人が勝ちます。若い人には、前の世代の成果をぶっ壊していくぐらいの気概を持ってほしい。新しい学問を吸収する能力も、若い人のほうが圧倒的に高いではないですか。例えば私は携帯電話から始めてなんとかスマホも使えるようになりましたが、若い人は最初からスマホを自由自在に使いこなせるでしょう。データサイエンスなども若い世代には当たり前にわかる世界だけれど、我々の年代にとってはそう簡単ではありません。
―つまり“若い研究者は、自分が有利な状況にあることにもっと自覚を持ってほしい”と。
細野:若い人の絶対的な特権は「時代の風を肌で感じられる」点にあります。ただし、そのためには内弁慶ではいけない。世界に飛び出していき、世界で勝負しないと意味がない。その点、日本の現状は気になるところです。どうも若い人が内向きで、データサイエンスにしても量子関係にしても日本は周回遅れになっていて、世界はもとより、アジアでのランクでも中国、韓国、シンガポールの次ぐらいにまで落ちているように感じます。国際レベルで通用するドクターを育成するのが、我々世代にとっての最重要課題です。一方で若い人たちには、とにかく国際学会で成果を出すんだ、年配の研究者たちには下剋上を起こすんだと、それぐらいの気概を持ってほしいですね。
細野 秀雄(ほその ひでお)
1953年埼玉県生まれ。1982年、東京都立大学大学院工学研究科博士課程修了、工学博士。名古屋工業大学工学部助教授、以降、東京工業大学で応用セラミックス研究所教授、フロンティア研究機構教授、元素戦略研究センター長、科学技術創成研究院教授を経て、現職。専門は無機材料科学。ごく平凡な材料から数々の新発見を生み出し、世界が注目する科学者となる。鉄系超伝導の発見を報告した2008年の論文は、引用件数で世界一を記録した。
(本記事は「リケラボ」掲載分を編集し転載したものです。オリジナル記事はこちら)
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