アサヒビールでおなじみのアサヒグループの一員、アサヒバイオサイクル株式会社で研究開発を行っている北川隆徳さん。ビール製造の副産物であるビール酵母を活用した製品を開発する中で、ビール酵母にある工夫を施すことでジャンボタニシの食害抑制に有効活用できることを発見しました。どのような経緯で発見に至ったのか、お話を伺いました!
アサヒバイオサイクル株式会社
農業・緑化分野におけるバイオスティミュラント(肥料原料)やアニマルニュートリション(飼料添加物等)の製品販売、サービスを提供。アサヒグループが長年の研究で培った有用な微生物活用技術や発酵技術などのバイオテクノロジーの力で、安心・安全な食の提供、持続可能な暮らしの実現や社会課題解決に貢献する事業を目指す。日本・アメリカ・中国に生産拠点を持ち、世界36カ国で製品の販売を行う(2022年時点)など、グローバルに事業を展開する。
https://www.asahibiocycle.com/ja/
全ては「ビール製造の副産物であるビール酵母を無駄にしない」取り組みから始まった
──はじめに北川さんがいらっしゃるアサヒバイオサイクル株式会社の事業について教えてください。
アサヒバイオサイクル株式会社は、アサヒグループの中でも少し特殊な立ち位置で、主に家畜用の飼料や農業用の肥料など、微生物を利用した製品の製造販売を行っています。
——例えばどのような製品があるのでしょうか?
飼料事業の方でいえば、家畜の腸内の有用菌を増やし飼料を効率よく吸収できるようにして健康に育つ手助けをする「カルスポリン」という自然由来の飼料添加物が、当社の主力製品のひとつとなっています。
——今回お話を伺いたい、ジャンボタニシの食害対策にも有効なビール酵母由来の農業資材について、早速開発の経緯から教えていただけますか。
はい。今回の私の研究の出発点は、ビールの製造工程で大量に副産物として発生するビール酵母をなんとか有効に活用できないかということでした。
ご存じの通り、アサヒグループの看板商品といえばなんと言っても「スーパードライ」に代表されるビール。そのビールを作る中の「発酵」という工程において、麦汁に対して生きたビール酵母という微生物を加えます。
ビール酵母は、麦汁中に含まれる糖分などの栄養分を食べ、代謝し、増加します。そして一定の条件になると二酸化炭素とエタノールを生成します。これがビールにおける「発酵」です。
発酵を終えた時点でビールが出来上がっている状態ではあるのですが、出荷にあたってビールを缶などに詰める際にビール酵母までその中に入ってしまうと、匂いや品質が変わってしまう原因となります。
そこで品質を安定化させるため、ビール詰めの前にビール酵母は取り除かれるのが基本です。わかりやすいのは、地ビールなどで白く濁ったビールを見たことがあるでしょうか。あれは酵母が全て除去されずに少し残った形です。一方で「スーパードライ」などは液体が美しく透きとおっていますよね。酵母がきっちり分離ろ過されているのです。ろ過しているということは、残渣(ざんさ)と呼ばれる、濾された残りも出るわけで、つまり私たちはビールを作れば作るほど、余りもののビール酵母もたくさん生み出しています。この「余った酵母をどうしよう」というのが、今回の開発のスタート地点でした。
——余ったビール酵母をどう活用するか……SDGsの観点からも課題ですね。ただ、これまでにもビール酵母を活用した製品がなかったわけではないですよね?
はい、例えば私たちのグループ内のアサヒグループ食品という会社では、この余ったビール酵母を洗って乾燥させて錠剤にしたものを製造しています。これは「エビオス錠」という商品で、かれこれ90年ほどの歴史を持ち、今でもドラッグストアなどに行けば胃腸薬のコーナーに大抵は置いてある定番商品です。酵母が麦汁中のビタミンB群を、大量に取り込むので、この「エビオス錠」も非常にビタミンBが豊富で、胃もたれ、消化不良などの胃腸薬や栄養補強薬として販売されています。
しかしながらこの「エビオス錠」だけでは、「スーパードライ」の工程で出る全てのビール酵母はとても使い切れません。まだまだ酵母は余っているというのが現状です。
——そこでビール酵母を使った新たな製品を開発するという道へ進むことになったわけですね。どのようにアプローチされたのでしょうか?
私が注目したのは、ビール酵母の「細胞壁」です。ビール酵母をひとつの卵に見立てると、卵の中身の黄身と白身の部分にあたるのが「酵母エキス」です。酵母エキスは主に調味料の原料として使用されており、カップラーメンなどの原材料表示を見ると、酵母エキスという名前をよく見かけます。また乳酸菌飲料などの製造において乳酸菌の培地の原料としても使われるものです。
一方、卵の殻にあたる部分が「細胞壁」です。酵母エキスは水に溶けるので比較的加工がしやすいのですが、細胞壁は基本的に水に溶けません。そういう性質からハンドリングしづらいという点で敬遠され、こちらがとりわけ余っているというのが現状でした。
——なるほど。ところでビール酵母の細胞壁が過熱水蒸気によって還元力をもつことを発見したのは偶然の産物だったのでしょうか? あるいは何かそのような仮説をお持ちだったのでしょうか?
仮説は持っていました。僕はもともと大学の工学部で化学生命工学の専攻で、イチイという植物の細胞から「パクリタキセル」という抗がん剤を取り出すといった研究をしていました。研究のなかでビール酵母も扱っていて、酵母細胞壁の構成成分の一つであるβグルカンという成分が、植物の免疫力や抵抗力を高める作用を持っていることについては昔から知っていたわけです。βグルカンのもつ還元力は、文献を調べてもどこにも書いてなかったことなのですが、様々な実験を繰り返すなかで性質としては確実視していました。その知見が土台としてあったので、よりその還元力を強めたものを製品化しようと取り組んだのです。
過熱水蒸気によって酵母が「還元力」を持つことを発見
——そうして進出したのが、肥料という農業分野だったのですね?
はい。活路を見出すきっかけになったのは、ビール酵母の細胞壁に付加価値をつけようと色々と試行錯誤する中で「過熱水蒸気」を使って加工してやると面白いことができそうだとわかってきたことでした。
家電製品に「過熱水蒸気オーブンレンジ」というものがありますので身近に感じる人もいるかもしれませんが、水蒸気を沸点よりさらに高い温度に加熱したものが、過熱水蒸気です。
この過熱水蒸気の温度をさらにもう一段階上げ、私たちの研究では沸点を超える温度での過熱水蒸気を使っていろいろ工夫してみたところ、この温度の過熱水蒸気によって、ビール酵母の細胞壁が適度に分解され、かつ「還元力」というものが付与されるというところがわかりました。
——「還元力」とはなんでしょう?
よく人間の老化の原因は細胞の酸化だと言われますが、酸化の反対が還元です。酸化物が電子を受け取ったとき、その物質は還元されたといいます。非常に大雑把にいうと、過熱水蒸気によって分解されたビール酵母の細胞壁には、細胞を若返らせるような機能があることがわかったということです。
実際にこれを植物に与えると、収量の増加にとどまらず免疫力の強化など、様々な作用が起こりました。そこでこれを、主に肥料メーカーさん向けの原料資材「CW1(シーダブリューワン)」として製品化し、販売を開始しました。いわゆる肥料と農薬の中間のような存在として「バイオスティミュラント」という製品カテゴリが近年確立されつつありますが、CW1はまさにその先駆的な位置付けになります。
——実際に製品化に漕ぎ着けるまでに、最大のハードルはどんなところでしたか?
なんと言っても「水に溶けるようにする」という点ですね。細胞壁が水に溶けにくいという難点をクリアするべく、苦心しました。例えば酵素で分解するとか、超音波で分解するとか……。様々な方法を試した結果、先ほど述べた過熱水蒸気という手段にたどり着き、さらにそれも、ちょうどいい温度で反応を止めることが重要だということを突き止めました。温度や反応の時間、温度を上げるスピード、攪拌のスピードや強度など、少しずつ変えながら、絶妙なちょうどよさを追求していったのです。
酵母の還元力がもたらした、さらなる意外な副次的効果とは?
——こうしてビール酵母の細胞壁を活用した肥料原料が製品化に向けて動き出す中で、さらに副産物のような効果を発見されたそうですね。それが「ジャンボタニシ対策」。一体、どういうことでしょうか?
その説明には、岐阜のJAさんや大分の農家さんの事例を借りるのがわかりやすいと思います。当社が開発したCW1は、もともと主にお米の収量を上げるための肥料の原料を想定して製品化したものですが、複数の農家さんから、これを使ったところジャンボタニシの被害がなくなったという声が聞かれたのです。
ジャンボタニシは正式には「スクミリンゴガイ」といい、もともと日本にいなかった外来生物ですが、稲を食べてしまう食害の被害が深刻となっています。日本だけではなくて、東南アジアを中心に世界的に被害が出ていますが、現在のところ有効な対策がほぼない状況です。ジャンボタニシを駆除するために農薬を使おうとすると、周辺の環境にダメージを与えかねないからです。
そんななかCW1を使用した田んぼでは、ジャンボタニシによる被害が大幅に抑えられているというのです。
なぜ効果が出たのかという要因を突き止めるべく、私たちもJAさんや農家さんと共同で検証に取り組んだのですが、実際に効果は劇的でした。前年、ほとんどの稲をジャンボタニシに食べられた田んぼでCW1を使用したところ、その年はほとんど食べられずにすんだのです。
——不思議ですね! いったいどのようなメカニズムだったのでしょうか?
それはまだ仮説検証段階ではあるのですが、CW1を稲に与えると必ず起こる現象としては、まず稲に細かい根がたくさん増えることです。
CW1によって根を増やした稲は、土壌中にある二価鉄イオン(Fe2+)をしっかり吸収し、蓄えます。つまり、二価鉄イオンを大量に吸収した稲が出来上がるのです。
ジャンボタニシの体内に二価鉄イオンが取り込まれると、細胞内の過酸化水素と取り込んだ二価鉄イオンが反応し「ヒドロキシルラジカル」という猛毒の活性酸素が発生します。それはジャンボタニシを最悪死に至らしめるほどの作用がある物質です。おそらくはこれがジャンボタニシによる食害が減少したポイントだと考えています。
CW1自体は動植物にとって害のないもので、現にCW1の原液をジャンボタニシにかけても何も起こりません。しかし、CW1によって根を増やしその結果二価鉄をたくさん含んだ稲は、ジャンボタニシにとっては恐ろしくてかじることができないものとなっているのだと思われます。
——お米の味には、影響はないのでしょうか?
味への影響を測ることは難しく、あくまでひとつの余談ではありますが、CW1を使用した田んぼのお米がこの年の大分県のお米の品評会で味がいいということで受賞を果たしたとのお話は伺っております。
天敵だったジャンボタニシがCW1によって今度は味方に?
——ジャンボタニシを駆除するのではなく「稲を食べさせない」とした点が画期的だと思います。
はい。ジャンボタニシは駆除されず、そこにいるんです。けれども稲を「食べない」という、農薬的な考え方でいくと非常に不思議な現象が起こっています。
ちょっとこれはおまけですが、ジャンボタニシは雑食性なので、別に稲を食べなくても他の何かを食べて生きていくわけです。つまり田んぼの畔などに雑草が生えていたら、その雑草も食べてくれるのです。合鴨を水田に放って雑草を食べてもらう合鴨農法というのがありますが、それのジャンボタニシ版ができるのではないかと。
——嫌われ者だったジャンボタニシが雑草を食べて、逆に役に立ってくれるということですか!?
はい、それが本当に確立できれば、除草剤も使わなくていいということになり、より環境にも優しい農法になるかもしれません。本格的に実証実験を行うかどうか未定ですが、今後そういう視点をもって観察していきたいと思っています。
——ビール酵母にはとてつもない能力が備わっているといえそうですね!
いえ、酵母の能力というよりは、稲の能力なのです。稲にはもともと、ジャンボタニシを寄せ付けないとか、病気にならないための能力が備わっており、そのもともと持っている能力を酵母が引き出してあげたにすぎない、というのが私の考え方ですね。
——お話を伺う限り、非常にいいことづくしで、製品開発も最終的にはスムーズにいったような印象ですが、このような研究の難しい点とは、どんなところでしょうか?
研究室での実験結果を同じように再現するのが非常に難しいですね。これは多分農業や生物に関わる実験すべてに言えるのですが、研究室で成果を出しても、それを実際の現場で再現してみようとした時に残念ながら同じことはほぼ起きません!
やはり研究室とは土が違いますし、実際の自然環境は気温も劇的に変わります。大雨が降ったり日照りが続いたり、暑すぎたり寒すぎたりといった環境の変化もあります。同じ農家さんの畑でも、隣の畑と全く条件が違うということもあり得ます。
ジャンボタニシの食害減少の実証実験においても、稲の二価鉄が増えていることに気づけたことが大きいです。それによって、CW1を使用する際に最初から鉄を一緒に混ぜて使ってもらえるよう指導して、実際鉄と混ぜて使ってもらうようにしてから、その効果の発現の確率が格段に上がりました。こういう大きなブレイクスルーを、現場で起こすことができるかどうかが肝心ですね。
「社会課題を解決したい」という研究者の願い
——ジャンボタニシの被害を減らす効果が実証されたことで、製品の注目度もかなり高まっているのではないですか?
そうですね、問い合わせも多くいただいておりますので注目されている実感はあります。海外や海外に農業資材を輸出している会社からも問い合わせが入っています。
私たちが原点としていた「社会課題を解決したい」という願いを叶えることができつつあるのかなと嬉しく思っています。
——もうひとつの意義として、もともとの研究の出発点でもあった「ビール製造の副産物であるビール酵母の再活用」という点も実現できそうです。
そうですね。今後もいろんな残渣……例えばコーヒー粕など、グループの副産物全てに対して余すことなく、困っている方々の役に立てるような再活用の道を提供できたらいいなと思っています。
——最後に、研究職を目指す読者に北川さんからメッセージお願いします。
今まさに申したことですが、私には自分の研究の仕事を通して社会課題を解決したいという思いがあります。
製品を売るときに、一般的には売る側が買ってくれた側に「ありがとうございます」と感謝の言葉を伝えることが多いと思います。ところが私たちの仕事では、物を買ってくれて使ってくれた人から「課題を解決することができました!ありがとう」って言ってもらえることがあります。そういう言葉を聞けたときは、何よりも嬉しいですね。
課題を解決するために自分の中で解析して、頭の中で理論構築して、対策を打って、結果が出るっていうのは、やっぱり楽しいじゃないですか。そこにさらには世界中の買ってくれた人から感謝されるということがくっついてくるかもしれないなんて、研究職とは、こんなに楽しい仕事はないですね。私はそう思っています!
<リケラボ編集部より>ビール製造の副産物を活用した肥料で稲を強くし、さらにジャンボタニシを敵から味方に変えてしまうアイディア。それは、自社・顧客・グループ会社・地球環境と、関わるステークホルダーが全員ハッピーになる方法でした。バイオテクノロジーで地球に優しい方法で問題を解決し、お客さんに感謝される。まさにアサヒバイオサイクルの理念を体現するアイディアを、北川さんがとても楽しそうに語っていたのが印象的でした。北川さん、アサヒバイオサイクルの皆さま、貴重なお話をありがとうございました。
(本記事は「リケラボ」掲載分を編集し転載したものです。オリジナル記事はこちら)
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