パリやウィーンとバルセロナの違いをご存知でしょうか。いずれも今ではヨーロッパを代表する美しい都市ですが、19世紀なかばに行われた都市の拡張計画では、考え方に違いがありました。ヨーロッパの諸都市がまず美しさを求めたのに対して、バルセロナだけは、いち早くデータに基づく暮らしやすいまちづくりに取り組み、結果的に美しさも実現したのです。
建築家をめざしていた吉村有司・東京大学先端科学技術研究センター特任准教授は、この町の都市計画プロジェクトに携わり、サイエンスに基づいたまちづくりと出会います。ビッグデータを活用してサイエンスとアートを融合させる、新たなまちづくりの手法『アーバンサイエンス』について、吉村准教授から教えていただきました。
都市のビッグデータとは何か
──都市にもビッグデータがあるとのことですが、具体的にはどのようなものでしょう。
吉村 例えば私自身が関わったプロジェクトなら、家庭ゴミにセンサーをつけてゴミの動きをトラッキングしたデータや、市内でのクルマの動きを再現したデータ、美術館のなかで動く来館者のデータなどが挙げられます。
ビッグデータという言葉が使われだした時期こそ最近ですが、都市に関するデータ自体は以前からありました。よく知られているのが「パーソントリップ調査データ」でしょう。これは平均的な1日に行われた全てのトリップについて調査するもので、人の動きを知る大規模調査として、日本でも10年に1度ぐらいのペースで行われています。
──バルセロナでは、いつ頃からどのようにデータが活用され始めたのですか。
吉村 最初は19世紀半ば、土木技師のイルデフォンソ・セルダがバルセロナの都市拡張計画を考えたときだと思います。バルセロナの歴史的中心地区はローマ時代に築かれたエリアで、当時は人口が密集して衛生状態が悪化、疫病などが流行っていました。
こうした環境を改善する都市拡張計画をセルダがつくります。これが後にセルダブロックと呼ばれる碁盤目状の街区です。その都市計画を立てる際に、セルダはサイエンスをベースにしました。彼は「ウルバニスモ」という新しい概念を提唱し、それが後のアーバニズムに繋がっていくこととなります。該当地区の住民を対象に訪問調査を行い、得られたデータに基づいて計画を進めていったのです。
同じ時期にパリやウィーンなども都市を拡張していますが、そのまちづくりの根底には街を1つの芸術作品とみなし記念碑的な街を目指す、どちらかと言うと「美」に基づく考え方があったと思います。僕はこれがバルセロナとヨーロッパ諸都市の大きな違いだと思っており、今度実証していきたい研究の1つでもあります。
データに基づくまちづくり
──バルセロナでまちづくりに携わったのですね。
吉村 バルセロナの都市生態学庁で働き始めたときの衝撃は、未だに忘れることができません。都市生態学庁はパブリックスペースの立案に関わる官庁ですから、自分が学んできた公共空間の計画やデザインの知識を活かせる職場と考えて就職したのです。
ところが最初の打合せに出てびっくりしました。都市計画を考えるといえば、通常なら模型をつくったりスケッチを描いて進めるものですが、ここではそれらは主役ではなかったのです。その代わりに交通シミュレーションや大気汚染測定結果などのデータが大量に持ち込まれて、ひたすら分析している。プロジェクトメンバーの中で建築家は私一人だけ、計画策定には物理学者や数学者も関わっていました。
──政策立案に物理学者や数学者が関わるのですか。
吉村 ほかにも生物学者や水質工学者などさまざまな分野の専門家が集まり、データ解析やシミュレーションを担当していたのです。例えばある地域にパブリックスペースをつくった場合の、交通量の変化や大気汚染の改善度合いなどデータを元に予測します。
これには頭をガツンとやられた感じがすると同時に、本当のまちづくりとはどうあるべきかと改めて考え直させられました。その結果まちづくりにおいて、まず考えるべきは住民の暮らしであり、単に景観が美しいかどうかといった表層的な問題などではないと悟ったのです。
大切なのはシティではなくシティズン
──データを活用して住民の暮らしやすさを実現するわけですね。
吉村 セルダ以来バルセロナでは、データを用いたまちづくりが行われてきました。その一例が「スーパーブロックプロジェクト」です。バルセロナを上空から見ると、碁盤の目状になっていますが、その区間の一部分を歩行者と自転車専用の特別区域として、車の乗り入れを制限しているのです。数年後には街路の60%以上を歩行者専用にすることが既に決まっています。
その際に問題となるのが、対象地域の商店から反対が出ることです。お店の方からすれば、車で来てくれるお客さんが減るから売上が下がると心配する。けれども、大手銀行に協力してもらい、歩行者専用空間にした地域の店舗の売上推移を、クレジットカードのデータから解析しています。最終的な結果はまだ分かりませんが、車を入れないようにした地域の店舗の売上が総じて上がっているという感触を得ています。
──クレジットカードの情報をまちづくりに活用するのですか。
吉村 クレジットデータを活用して都市の多様性に関する定量分析も行っています。例えばバルセロナの市街地を200メートル四方ぐらいのグリッドに分割します。その1ブロックの中にある小売店舗の数と種類を変数として、各ブロックの多様性を指数化します。そして各ブロックごとに多様性と売上の相関関係をみると、どうやら多様性に富んでいる方が売上も上がる傾向にあるということが分かってきました。これなどはまさに生態学における多様性の重要性を、都市においてもデータ分析によって裏付ける事例になります。
──最近、日本でもよくいわれるようになったスマートシティとは、かなり違うようです。
吉村 考え方の根幹に据えられているのは、市民生活の質の向上だと思います。スマートシティという用語が生まれるはるか以前から、バルセロナでは「スマートシティズン」が重要視されてきました。大切なのは、都市のスマート化ではなく、そこに暮らす市民生活の質の向上だということを忘れてはいけません。
これに対して日本でスマートシティといえば、なぜか電力の効率供給や上下水道の整備などインフラの話になりがちで違和感を拭えません。もちろんインフラ整備も重要ですが、はじめにインフラありきではない。何をスマートにするのかが問われなければならない。とはいえ最近の日本の動きを見ていると、スマートシティの議論の中にようやく「市民」というキーワードが入ってきているようで、良い方向に向かかいつつあるように感じます。
──バルセロナではスマートシティ・エキスポが開催されています。
吉村 バルセロナで世界最大級のスマートシティイベント「Smart City Expo World Congress」が開催され始めたのは2011年です。今では世界約150カ国から700都市と、800社以上の企業が参加する世界最大規模のスマートシティ関連の展示会となっています。私もエキスポの立ち上げ当初から関わってきました。
まちづくりの新しい科学『アーバンサイエンス』
──『アーバンサイエンス』は先生が在籍されていたMITが打ち出した新しいコンセプトですね。
吉村 サイエンス、つまり科学の重要性を改めて指摘したいと考えています。従来の都市計画やまちづくりは、社会にとってのエンジニアリング、社会技術の問題でした。つまり町や生活を良くするための技術です。ここで少し立ち止まって考えてほしいのが、技術と科学の違いです。日本では「科学技術」という言葉が安易に使われますが、科学と技術は根本的に異なる概念です。
──科学すなわちサイエンス、技術はテクノロジーという区別ですか。
吉村 知識や学問そのものを指すラテン語scientiaに由来するscience(科学)とは、特定の現象を正確に測定したデータの収集と分析により、その背景にある法則やパターンを発見する行為です。これに対して技術とは、科学によって発見された法則やパターンを活用し、社会に役立てる方法です。科学と技術は根本的に次元が異なるのです。
ところが、日本では両者の境界線があいまいです。世界で初めて総合大学に「工学部」を開設したのは日本の帝国大学ですが、それまでヨーロッパでは総合大学に工学部が存在したことはありませんでした。なぜなら大学とはラテン語で教養を身につける場であり、技術などものづくりを学ぶものはヒエラルキー的に低い扱いを受けていたからです。しかし日本では近代化を進めようと実用的な技術への関心が高く、また既存の大学組織もなかったことなどから、当時のヨーロッパの様に工学を軽視する発想が生まれなかったのです。
──『アーバンサイエンス』とは具体的にどのような内容なのでしょう。
吉村 第一義的には都市のビッグデータを収集し、その解析結果に基づいて何らかの法則性を見つけ出し、それをまちづくりや都市計画に反映させるという考え方です。例えば最近ではセンサーの価格が大幅に下がり、街中にセンサーを設置すればさまざまなデータを収集できるようになりました。そのデータを解析して法則を見出す。さらに発見した法則やパターンをまちづくりや建築に活かす。従って『アーバンサイエンス』は技術的領域までを包含した概念なのです。
マサチューセッツ工科大学が2019年9月、新たに「Bachelor of Urban Science and Planning with Computer Science」コースを開設しました。その目的は、サイエンスを理解する建築家やプランナーの育成です。私も当時MITに在籍していて、このコースの立ち上げに最初から関わりました。日本に戻ってきたのを契機として、今後はアジア地域でのアーバンサイエンスの普及啓蒙に取り組んでいきたいと思っています。
バルセロナに飛び、バルセロナで働く
──そもそもなぜ大学卒業後にバルセロナに行ったのですか。
吉村 イグナシ・デ・ソラ・モラレスという建築界の巨匠がいたからです。彼のもとで学びたいと手紙を出したら、OKとの返事をもらったので留学を決めました。彼の事務所で働きながら、彼が教える大学院で学ぶ予定でした。
ところが留学に旅立つ寸前にモラレスが亡くなります。とはいえ、その時点で既に飛行機のチケットは買ってあるし、バルセロナでの住まいも決めていたのでキャンセルするのも簡単ではない。だから、とにかく1年ぐらい行ってみようと思ったのです。
──そのバルセロナが、データを用いたまちづくりを行っていたわけですね。
吉村 最初はバルセロナのまちづくりについての知識などまったくありませんでした。ただ町を歩いているときに気づいたのが、パブリックスペースの心地よさでした。なぜ、こんなに心地よいのか、この空間は一体どのように考えてつくられたのか。自分なりに考えているうちに、バルセロナという街自体に興味を持つようになっていったのです。そしてパブリックスペース構築を担っている組織、都市の戦略を立案する官庁である、都市生態学庁と出会いました。
──市の組織に簡単に就職できたのですか。
吉村 運に恵まれていました。当時のバルセロナはバブル真っ盛りで、市役所は猫の手も借りたい状態だったのです。だから外国人にも労働許可証を出してくれました。そこで働くうちに都市データを取得するセンサーつくりにも関わったのです。スマホに付いているブルートゥースをトラッキングすることによってクルマの動きを把握するセンサーです。開発したセンサーを町中に配置して膨大なデータを集めました。そのデータ解析のためにコンピュータサイエンスを学んだ結果、Ph.D.をコンピュータサイエンスで取得しています。
──建築はどちらかといえばアートであり、論理を極めるコンピュータサイエンスとは対極にあるように思いますが。
吉村 建築がアートかと問われれば、そこは微妙であり色々な答えがあると思いますが、一方でコードは論理の極致だと思います。だからコーディングを学ぶのは、論理力を鍛える最上のトレーニングになります。
ゴールはサイエンスとアートの融合
──鍛え上げた論理力を建築に活かすわけですね。
吉村 都市計画やまちづくりにサイエンスを取り入れる、これが今後の人生をかけて取り組みたいテーマです。例えば今取り組んでいるのが、画像認識を活用した建築家の特徴量の抽出です。AIを通して特定の建築家の作品を検証していけば、人の目では見落としていた特徴を拾い上げられる可能性があります。これまで建築評論家や歴史家といった、人の目から見たデザイン分類しか行われてこなかったのに対して、まったく異なる基準に基づく建築の分類法が浮かび上がってくる可能性もあります。
──まちづくりにもAIやサイエンスの視点を生かしていくのですか。
吉村 サイエンティストの立場から、まちづくりを提案したら何が生まれるのか。今まで誰も取り組んだことのない世界です。まだ誰も知らない世界を最初に見られるのが、サイエンティストの特権でしょう。建築、都市計画、まちづくりも科学であると考えれば、モノの見え方が変わってくるはずです。サイエンティストほど魅力的でおもしろい仕事は、まず他に思いつきません。Ph.D.は、そんな仕事に就くためのパスポートのようなものです。
──博士号を取得すれば世界が広がるのですね。
吉村 欧米ではPh.D.は超エリートの証です。メルケル首相がPh.D. holderであることはよく知られていますし、都市の舵取りをしていく自治体職員のなかにもPh.D.を取得した専門職員が数多くいます。特に欧米のスマートシティ担当者の多くは、その分野で博士号を修めた専門家を擁している都市が多く、そういう専門職員が同じ部署で何年も都市政策などを策定しているから付け焼き刃のスマートシティ政策に陥らないのです。
──最後に一言、読者に向けてなにかいただけますか?
吉村 苦労して博士号を取ったのなら、その過程で培ってきた自分の能力に自信を持ってほしいと思います。その能力とは決して専門分野における能力に限定されません。未知の世界を発見する力こそが博士ならではの能力なのです。
何も日本だけに閉じこもる必要など全くありません。キャリアパスは世界に目を向けて探せばよいのです。道は必ず見つかるはずです。
©︎ERI KAWAMURA
東京大学 先端科学技術研究センター 特任准教授
吉村有司(よしむら・ゆうじ)
愛知県生まれ、建築家。2001年より渡西。ポンペウ・ファブラ大学情報通信工学部博士課程修了。バルセロナ都市生態学庁、カタルーニャ先進交通センター、マサチューセッツ工科大学研究員などを経て2019年より現職、ルーヴル美術館アドバイザーを兼任。主なプロジェクトに、バルセロナ市グラシア地区歩行者計画、Bluetoothセンサーを用いたルーヴル美術館来館者調査、機械の眼から見た建築デザインの分類手法の提案など、ビックデータやAIを用いた建築・まちづくりの分野に従事。「地中海ブログ」で、ヨーロッパの社会や文化について発信している。
(本記事は「リケラボ」掲載分を編集し転載したものです。オリジナル記事はこちら)
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