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Q:高校や大学はどのようにして決めていったのですか?

小学6年生の頃には、薬剤師になろうと思っていましたが、薬剤師がどういう仕事をしているのかはあまり見ていませんでした。
ただ薬剤師になるためには薬学部に行かなければなりませんが、地元の福井県には薬学部がある大学はなかったのです。県外の大学に行くにしても、私は三姉妹の長女で『お姉ちゃんが私立に行くと、妹たちの学費がないから国立に行ってね』と言われていたので、国立の薬学部に進学しようとすると、地元の進学校に行かなければならない……という感じで進路が決まっていきました。
両親からは、『国立大学だったら日本全国でどこでも行っていいけれども、長女なので大学を卒業したら地元に帰ってこい』と言われていました。
志望校を決めたのは、軽い理由です。それこそ夏休みの旅行で行った仙台がいいイメージだったので、東北大学でいいかもって(笑)。
それに私の学力に合っていたということもありましたので、それでいいやって感じで決めました。

Q:アメリカの大学に留学することになったきっかけは?

大学卒業後、両親との約束通りに福井に帰り、薬剤師として地元の総合病院に就職。2年間ほど勤めたのですが、将来のビジョンが描けなくなってしまいました。
私は小学6年生の時に薬剤師になるという夢を描いて、それ以降はスムーズに人生を歩んできました。でも、薬剤師になったあとのことを考えていなかったのです。
夢を実現して薬剤師になり、一通り仕事を覚えて、先輩にも怒られなくなったら、『私は次に何をするのだろう?』と思ってしまったのです。
それでいろいろと将来について考えていたら、大学の先生が『アメリカの薬剤師は日本と違ってすごい』と言っていたことをふと思い出しました。すぐにいろいろ調べ始めたのですが、当時は英語もよく読めないし、日本とアメリカではシステムも違うので何がすごいのかよくわかりませんでした。だったらもう直接行ってしまえって思ったんです(笑)。
でも仕事をしながら留学の準備をしていたので、英語の勉強などを含めて、結局2年ぐらい準備時間はかかりました。

Q:アメリカと日本の違いは何だったのですか?

アメリカには約2年半いましたが、ひとことで言えば、アメリカではベットサイドに近いところで治療についてドクターと一緒に議論できる薬剤師になるという教育を受けてきました。
アメリカで私が出会った薬剤師は、薬の知識だけでなく、その薬でどう治すのかという治療の知識がちゃんとありましたので、ドクターに薬をどうやって使えばいいのかという指示とか提案ができるんですね。
もちろん、診断に関しては『この病気だ』と言い当てるのはあくまでドクターです。でも薬剤師から『こういうふうに薬を使ったらいいですよ』という提案ができますし、自分でちゃんとカルテを読んで患者さんの状態も把握できて、もし治療法に疑問があったら、『これはおかしいのではないですか?』と立ち上がってドクターのところに話に行くのです。そうやって常にダブルチェックし、先生が出してきたものを別の目でチェックするのです。
アメリカで学んできたことを日本でも試してみたいと思って帰国し、自分も病棟で働いて、だんだん経験が積まれていくうちに、『大丈夫だ。国が違っても、向こうで学んできたことが活かせる』という自信ができてきました。
同時に、自分が学んできたことを後輩に伝えていかなければならないという思いも芽生えてきました。やはり、ひとりの薬剤師がケアできる患者さんの数は限りがありますが、よく質の高いサービスを提供できる薬剤師さんがたくさんいれば恩恵を受けられる患者さんの数も増えていきますので、今後は後輩の育成にも力を入れていくつもりです。

 
  “これからの薬剤師には薬の知識だけでなく幅広い能力が求められています”と話す上塚さん(写真中央)

(取材・文=川原田剛 写真=井上孝明)